個性と向き合いながら
自分らしく生きる

広海 夏休みが始まる前、1学期最後の終業式の日って、学校に置いてある荷物を持って帰るじゃない?でも、1度に全部持ち帰るのは無理だから、周りの子たちは数日前から小分けにして持って帰るんだよね。もちろん、私たちはそんな計画を立てることができなくて、終業式の日は大量の荷物を抱えてまるで引っ越し状態。6年間、ずっとそれ。さらには、途中で持つのが面倒くさくなっちゃって、書いた絵や作った工作を道端に捨ててしまったりして(笑)。

深海 そりゃあ、周りから「変わっている」と言われても仕方ないよね(笑)。もちろん、自分たちもそのことには気付いていたけど、だからといって「何が悪いの?」みたいな。

 というのも、私たちはすでに“親がいない、双子、貧乏”と、周りとは大きく異なる存在だったので。そっちのほうが大きすぎて、ADHDなんて些細なことに思えてしまったというか(笑)。

 自分たちの病名をちゃんと知ったのも大人になってから。いろいろな本を読んだり、人の話を聞いたりする中で「私たちはADHDの症状が強めなんだな。私はアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)も持っているんだろうな」って、少しずつ学んでいったような感じなんです。

広海 ぼくが初めて病院に行ったのは19歳の頃。確かそれも、雑誌やネットがきっかけでした。そこに簡易診断的なものが掲載されていて、やってみたらドンズバで自分に当てはまっていて。「じゃあ、お医者さんに行ってみよう」と。そこで、ADHDであることが判明するんですけど。その症状を調べたときは「あ、そうそう」「なんでわかるの!?」「知ってるの!?」みたいな、まるで占いが当たっているような感覚だったのを今でも鮮明に覚えています。

深海 私もつい最近病院で診断してもらったんです。その結果は、ADHD強めのアスペルガー症候群との診断でした。今まで病院に行かなかった理由は、中学生の頃、言葉を話さなくなって病院に行ったときに、特にカウンセリングを受けることもなく、ほんのちょっと話して薬をもらうだけだったんですよね。

 そこで幼い私は、「やっぱり、ここでも自分を理解してくれようとする人なんていないんだ。だったら、こんなこと意味がないな」と思ってしまったんです。だからこそ、それまでは頑なに口を閉ざしていたのに、お医者さんの前だけでは口を開きましたからね。「話せます。話したくないだけなんです。大丈夫なので、もう病院には来ません」って。