地面に座る小学生写真はイメージです Photo:PIXTA

双子タレント「広海・深海」として芸能界で一躍人気者になった2人。現在、広海は経営者、深海はスタイリストに転職し、それぞれの道を歩みながら生活を共にしている。両親からの育児放棄、児童相談所からの脱走、10代で芸能界デビューと波乱万丈な人生を送ってきた2人は、自身のADHDとどのように向き合ってきたのか。本稿は、広海・深海『むすんでひらいて』(ワニブックス)の一部を抜粋・編集したものです。

衝動的に舌をハサミで切った
「ぶっとんでいた」子ども時代

広海 ぼくが「自分は他の子とちょっと違う」と気付き始めたのは、小学校1~2年生の頃。とにかく、怒りのコントロールが上手くできなかったんですよね。些細なことで癇癪を起こしてしまって......。

 今でもよく覚えているのが幼稚園の頃の記憶。教室で工作をしていたときに、なぜだか、ぼくは黄色い容器に入った工作用のりが気になって仕方なくて、ペロッと舐めたんです。すると、それが意外と美味しくて(笑)。一人でおやつみたいに食べていたら、周りの友達や先生にからかわれたんですよね。「そんなことをしたら“舌切りスズメ”になっちゃうよ~」って。

 もちろん、みんなは遊びの延長のような気持ちだったと思うんだけど、ぼくはパチンと怒りのスイッチが入ってしまって。机の上にあったハサミで衝動的に自分の舌を切ってしまったんですよ。

深海 広海ちゃん、ちょっと待って。話の順番をちゃんと考えましょう(笑)。みんなビックリしちゃうから。ちなみに、切ったと言ってもほんのちょっとで、傷が残るほどの怪我もしていないんですよ。でも、周りの友達はもちろん先生も驚いて、ちょっとした騒ぎになってしまって。

 小学校に入ってからも、宿題のプリントやドリルを「わからない」という理由で破ってしまったり、授業中なのに教室を飛び出して運動場まで走っていってしまったり……。あの頃の広海ちゃんは、まあ~ぶっとんでいたよね。

広海 なんだろう、幼少期のほうがADHDの症状が強かったんだよね。それは、あの頃のほうが大人になった今よりも、もっと気になることが多かったからだと思う。

深海 広海ちゃんが外向きなら私は内向き。「発達障害の疑いがある」と言われて育ったのは2人とも同じで。今なら「お医者さんに診てもらいましょう」という話になると思うんだけど。全校生徒が60人程度の田舎の小さな小学校に、あの頃、ADHDなんて言葉を知っている人は誰もいなかったと思うし。

広海 ただのワガママな子、扱いづらい子、癇癪持ちの子、当時はそんな認識でしかなかったんだよね。