価値観をガラリと変えた
摂食障害と沖縄ホームレス体験

 このように男らしさという価値観が日本全国に浸透していることのリスクを指摘する斉藤氏だが、自身もかつてプロサッカー選手を目指しており、海を渡ってブラジルにも留学し、苛烈な体育会系社会に身を置いてきた過去を持つ。それゆえ、「男らしさに拘り生きることになんの疑問を持たなかった」(斉藤氏)という。

「私もサッカーのポジション争いや試合に勝つこと(達成)、そして仲間内で悪目立ちすること(逸脱)を是としていました。もちろん、当時は先輩の言うことは絶対だし、弱音を吐くのは負けだと思っていました。家父長的な空気が残る田舎の実家でも『女のくせに』などというワードが日常的に発せられていたので、私自身が男らしさや男尊女卑の価値観を知らないところで学習し、深く内面化していました。ただ、やはり常に強くあって、勝ち続けなければいけないという価値観にしがみついて居続けるのはしんどく、限界があります」

 斉藤氏によると、そもそも男らしさや男尊女卑の価値観を内面化していることに気づいていない人も多いのだそう。

「それが生まれた時から当たり前であり、空気のようになってしまっていると、男性である自分がなんらかの利益を享受していることや、それによって周囲への加害性となっていることに気づきません。もしくは、男らしくいるのが生きづらいと感じていても、それが普通だと感情を麻痺させて我慢している人もいます」

 また、男尊女卑的な言動をしていると指摘されても否認する人は多いという。

「否認とは、自らの嗜癖行動を精神論に矮小化し、現実を自分の都合よくとらえて棚あげする認知のパターンで、アルコールや薬物などの依存症患者が自身の症状に気づかず、周囲が指摘しても否定するという行動原理と同じです。それゆえ、現代日本は多くの人が男尊女卑依存症という病に罹患していると考えています。まさに、その価値観にとらわれて生きることが苦しいにもかかわらず、わかっちゃいるけどやめられないという状況です」

 斉藤氏が自身に染み込んだ男らしさについて、認識し、そのよろいを少しずつ脱ぐきっかけとなったのは、自身の依存症体験と沖縄でのホームレス体験だった。

「けがをしてサッカーができなくなったときに、体重のコントロールにはまり、摂食障害(主に胃に入れずに口腔内で咀嚼して吐き出すチューイング)になったんです。そんなことを繰り返していると体力や筋力が低下します。大学ではサッカー部を選択せず、逃げ出しました。それでもって、サッカーの競争から完全に脱落しました。そのときに、自分の限界を知り、同時に周りはそこまで自分に期待していないということがわかりました。自分の幻想がすべて打ち砕かれ、それまで築き上げてきた体育会系の価値観がすべてではないと、気づきました」

 その後、斉藤氏は現実逃避のために大学4年の春休みに卒業旅行と称した沖縄へひとり旅に出る。初日から、現地の人と泡盛を飲み明かし、ヤケ酒をあおった挙句、気づけば所持品をすべて失い、路上に寝ていた。そこから、ホームレス生活がスタートするのだ。

「途方に暮れて国際通り近くにある公園のベンチで3日間座っていたら、そこを縄張りにしているホームレスに声をかけられました。そのとき生まれて初めて、自分の過去や摂食障害のことを洗いざらい話したんです。いわば、人生最初のカウンセリング体験を経験したわけです。自分の弱さや失敗を話せたときに、ものすごく気が楽になったのを覚えています。そこからホームレスのコミュニティーに1週間ほどいて、シケモク(たばこの吸い殻)拾いをして食べることをつないでいました。彼らと別れた後は、ビーチ沿いに歩いて移動し、民家を訪ねて泊まらせてもらい、その家の家業の手伝いをして帰りの飛行機代をためたんです。最終的には沖縄をほぼ一周しました」

 民家を訪ねる際も、泊めてもらうには自分のことを洗いざらい話して、信用してもらう必要があった。プライドを一切排除し、ありのままの姿で人と接したことで、自分の弱さや不甲斐なさと向き合うきっかけになったのだ。自分の居場所なんかない、自分の居場所は自分で作るしかないんだ、ということを学んだという。