なぜ「OB」なのか
OBサミットは、各国の元・首脳で構成されていた。
まず、中心メンバーによって次回総会で取り上げるテーマを決める。
その上で専門家会議を開催し、学者や知識人などテーマに沿った専門家が、総会で話し合われる議題のたたき台をつくる。
総会では、各国の元・首脳たちが激しい議論を重ねた。
なぜ現役ではなく「元(OB)」首脳たちなのか。
それは、現役の首脳は各々代表すべき国益を背負っていて、たとえ人類全体の利益になるとわかっていても、狭い意味での国益を損なうことはやりにくい。
この点「元」首脳たちは、現役を離れたことで現役時代の知識や経験を持ちながら、狭い意味での国益から脱し、地球規模で物事を考えられる。
本書を読んでよくわかるのは、元首脳たちは現役時代から、「もっと広い、大きなものの見方をしないと地球規模の問題は解決できない」と感じていたようである。
付言しておくと彼らは例外なく愛国者であり、愛国であるがゆえに、国の行く末を地球規模で考えていたのである。
それにしても、政治家は現役を辞めれば、体制の違いを問わず影響力は小さくなる。
残された道は、引退そして名誉職、もしくは趣味の老後である。
だから、「参加しても1円の利得も得られないものに、日本人はもちろん、外国人で賛同するものがあるはずはない」、という見方をする人たちもいた。
ところが、1983年のオーストリア・ウィーンで開催された第一回OBサミット総会には、各大陸から多くの元首脳が集まった。惜しむらくは当初、日本を除く先進国の元首脳が参加を見送ったことだが、そんなことで福田は落ち込まなかった。否、むしろ闘志をかき立てられたのである。
このあたりの経緯について本書の記述は、福田の淡泊な回顧録(『回顧九十年』)とは違い、いかに福田がOBサミットの基礎をつくるか、先進国も含めた全世界の元首脳が集まるためにどういうシステムをつくり実績を示すかを、必死に積み上げていく様子が描かれている。
かかる政治家ありき
いったい福田は、何を目指してOBサミットをつくったのか。
第一回OBサミット総会で「毎年議論していく課題」として挙げられた、大きな三つのくくりがほぼ網羅しているといえよう。
(1)平和と軍縮
(2)世界経済の活性化
(3)人口・環境・開発・倫理の関連諸問題
その後、各項目に付随する細かな問題提起がおこなわれていくが、これが30年以上にわたって開催されるOBサミットの骨子と言っていい。
あらかじめ読者に申し上げておきたい。
こうした課題はともすれば退屈な論述に陥りやすい。しかし本書は、福田赳夫とヘルムート・シュミットという味わい深い政治家の、友情と信頼を縦軸に描かれている。
普段報道で目にする政治家たちの不甲斐なさとは別世界のような政治家の良心を、エピソード豊かに読ませてくれる。
また著者の渥美桂子氏は、福田とはまったく政治的立場を異にしたリベラリストであることが、本書の真実味を裏付けてくれるであろう。
現役を退いてなお世界の問題と向き合い解決のために働いた「元」首脳たち。
まさに、「かかる政治家ありき」、なのである。
(次回に続く)