「タケオは私の宝」

 次の場面は、福田とシュミットの関係性を強く感じさせる。

 1993年。翌年のドレスデンでのOBサミット総会を前に、2人は東京で執行会議を行なった。このとき、2人とも第二次大戦中に子どもを喪ったことを初めて知った。

 2人は長い時間、黙ったまま握手をし続けた。

 シュミットは、「私たちはもう、何も言わなくても理解し合えますね」と福田に語りかける。

 渥美氏はじめその場に居合わせた人たちは、誰もが胸いっぱいになったという。

 それにしても、福田とシュミットには「共通でない点」が多い。

 国、人種、宗教、家庭環境も違う。

 福田は豪農であり、祖父も父も兄も、地元の町長として地域に貢献していた。

 シュミットの父は学校の教師で、母親は子どもにピアノを教えるなど芸術的才能を有していた。
 
 福田がシュミットのピアノのそばに立つ写真があるが、シュミットが流暢にピアノを弾く傍らで、福田は音階を外しながら「ローレライ」を歌ったとある。仲のよい友人。しかしその才能はまったく別のところにあったことを示している。

 何より、福田は保守政党である自民党、他方シュミットは左派の社民党である。政治的立場は一見まったく反対のように見える。

 他方、「共通点」はどうか。

 シュミットは戦時中、最前線で戦い、福田は戦前大蔵省の陸軍担当主計官として、軍人から何度も脅されながらその横暴に抵抗した。東京大空襲で大やけども負ってもいる。

 二人とも、政治が間違えた方向にいけば国民がどれほどの苦しみを味わうかということを骨身にしみるほど感じていた。

 福田は保守政党である自民党に籍を置きながら、「国民皆保険」や「国民皆年金」の実現をさせ、社会全体で支え合うという政策を推し進める。

 シュミットは常に社会的弱者を顧慮した。失業者救済のための大幅な支出が、連立していた自由党の離反を招いて政権を終わらせたことは、象徴的であった。

 福田は「政治は最高の道徳でなければならない」と言い、シュミットは「政治家には長い道のりの一歩一歩を、正しく判断しつつ歩む義務がある」と述べている。
 
 お気づきだろうか。

 いま挙げた「共通でない点」は、国や人種など表面的な違いでしかない。

 しかし「共通点」は、信条、価値観といった、内面的なものといえる。

 彼らは政治的な立場を異にしていたが、人間的な立場は奇跡的と言えるほど一致していた。シュミットが「タケオは私の宝」と言い切ったことの意味が、わかるような気がする。