2016年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの奇跡』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの奇跡Photo: Adobe Stock

「私はバカですから…」と言う人の方が、多くの人に好かれる

 自分の家や土地をすべて売り払ってお金をつくり、「ボランティア活動」をしていた方がいました。

「すばらしい慈善家がいる」という評判が広まって、全国各地でこの方の「講演会」が開かれたそうです。

 あるとき、講演会の中で(おそらく、ちょっとした、はずみだったのでしょうが)、このような話をされたと聞きました。

「今、私の話を聞いているみなさんは、会社があり、社員がいて、預貯金もある。そういうものを全部、売り払って、なぜ私と同じことをしないのですか?」

 「困った人のために、自分のできることをやっていきたい」というあたたかい心を持った方でしたが、自分は「喜ばれる」ように生きているのに、まわりの人は自分勝手に生きているのが、おそらくは、許せなかったのでしょう。

 この発言のあと、会場はシーンと静まりかえったそうです。そして、同じ主催者から、2回目の講演を頼まれることはありませんでした。

 人間は、「自分の価値観を人に押し付けないほうがいい」と思います。宇宙には、「相手を変えようという気迫が強いほど、人は離れていく」という法則があるようです。

 この方が「自分の真似をしなさい」と強要せずに、「バカなことをやってしまったので、どうぞ笑ってください。私はこういうバカな生き方しかできません。私の真似などしないほうがいいです」と言っていたら、おそらく賛同者が増えたかもしれません。

 聖書や仏典などの本を、数日かけて読んで暗記すれば、誰でも、キリストやお釈迦さまが言っていた言葉と、「同じ言葉」を言うことはできるようになるでしょう。

 けれど、その人が、それだけで「周囲から尊敬されること」はありません。なぜなら、キリストやお釈迦さまとは違って、実際に「実践」をしていないからです。

 話が立派だからといって、相手が話を聞いてくれるとはかぎりません。「立派な話をすること」と、「相手が話を聞いてくれること」は、別問題です。

 人が耳を傾けるのは、話す側が、「本当に、そう生きているときだけ」です。

 そして、本質的なことがわかっていて、実践的に生きている人は、「自分の意見」を押し付けたり、「ああだ、こうだ」とは言わないようです。

 たとえば、吉田松陰は、松下村塾で塾生や目下の者に対しても怒ったり怒鳴ったりしたことはほとんどなく、呼び捨てにしたこともなく、すべて「さん」付けで呼んだそうです。

 いくら能書きが立派でも、家族や、部下や、まわりの人に対する態度の中に、「その人の人格のレベル」は表れているようです。

「あの人の、していることが許せない」という、正義の「敵意」の小さな芽は、誰の心の中にも宿っているでしょう。

 けれど、「他人を憎む心そのものが、争いの種になっている」のかもしれません。

 よき仲間と明るく楽しくいたいのならば、目の前の人に対して「自分と同じように振る舞いなさい」「同じ価値観になりなさい」と強制するのをやめましょう。

 他人や世の中をどうするかより、「自分の中の敵意と憎しみをなくし、太陽のように明るく生きていくこと」のほうが、ずっと大切だと、私は思います。