それでも王朝交代の可能性をいう人がいるが、継体天皇の即位の時に第一候補だったのは、応神天皇の兄の子孫だが、本人が辞退したとされている。もし、応神天皇が新王朝の創立者であるとすればあり得ない。

「テンノウ」の呼び方は明治以降
「帝国」という言葉は和製漢語

 なお、半島南部の支配については、韓国人は否定したがるが、4世紀末の好太王碑にも半島支配を巡って日本と高句麗が争ったことが書かれ、5世紀の中国南朝は日本の半島南部への宗主権を認め、半島南部には日本式の前方後円墳が多いなどから見て、韓国人は信じたくないだろうが、全面否定する理由はない。

 さらに、日本という国号や天皇という称号の起源については、そもそも大きな誤解がある。日本の自称はもともと「ヤマト」であるし、文字は統一国家成立の頃から限定的に使われ始めてはいたが、本格的な文字社会に移行するのは仏教伝来後である。

 従って、中国の史書に「倭国」と書かれていても、日本人はヤマトと読んでいた。奈良県を指す「大和」も、「大倭」という表記の印象が良くないので奈良時代に改めたものだ。また「日本」は、奈良に都が移るころから、「倭」のイメージが悪いので使い始められた。

 天皇も「スメラミコト」「スメラギ」「オオキミ」などと読んでいたらしい。天皇という言葉は、おそらく唐の初期に皇帝を天皇と表記していたことがあるのにならい、中国語表記として採用されたようだ。

 従って万葉集の時代にも天皇という文字を「スメラミコト」などと読んでいたことが確認されており、天皇を日本人が「テンノウ」と呼ぶようになったのは明治になってからのことだ。江戸時代は「ミカド」など多様な読み方がされていた。

 天皇を英語では「エンペラー」と呼ぶが、これは明治になって日本人が考えた新しい翻訳だ。また、帝国という言葉は、エンパイアの翻訳として考えられた和製漢語にすぎず、歴史的にはそのような漢語はない。

 以上のような説明は、欧米人などに理解できて納得を得られるように、筆者はかなり目配りをした。中国人にも分かりやすいはずだ。韓国人に喜ばれるかどうかは知らないが、いずれにせよ、韓国人とはビジネスパーソンが相手でも歴史論争はしないほうが、気まずくならないので賢明だろう。

※本稿の内容は「英国王室と日本人」(小学館)、「日本人のための日中韓興亡史」(さくら舎)に詳しい

(評論家 八幡和郎)