新人賞の選考における
人材難という深刻な問題

 なぜ雑誌がおもしろくなくなったのかといえば、主に新人作家が不作だからということになる。載せられる水準の小説が減り、話題も減れば、文芸雑誌とはあまり関係のない特集や対談を企画するのもうなずける。

 そう言っている筆者も新人賞から出ている作家なのだが、実は以前から心配していたことがある。それは、新人賞で才能と可能性ある作家を本当にすくい上げられているのだろうか、という危惧だ。

 実は筆者の新人賞受賞作は、他の新人賞では1次予選も通らなかった小説なのである。そして他の作家からも、似たような事例を聞いたことがあり、最近筆者が書いた小説をある新人賞に試しに応募してみたら、1次予選も通らなかったのである。

 新人賞は毎年何千もの小説が全国から送られてくるので、まずそのほとんどを下読みという若い批評家らが分担してふるい落とし、残ったものを2次、3次と絞り込んでいく体制だ。ただ1次さえ通れば、複数の下読みや編集者の目に触れるため、有望な新人の作品を見逃すということは少ないだろう。問題はやはり1次選考なのである。

 結論から言うと、どうやら新人賞は有望な新人をすくい切れておらず、特に1次選考で消されているケースが多いようだ。

 担当した選考人(若い批評家の卵など)も、もちろん幅広い判断を心がけているはずだが、まったくフラットに査定せよというのも無理があるだろう。加えてもともと減っていた批評家の新人賞も数年前になくなり、新しく若い批評家は増えていない。編集者も1誌当たり3~4人で、それも契約社員が増加している。こうしたさまざまな要素が重なって、特に1次予選にしわ寄せがきていると推測できる。

 各新人賞発表時の「選考委員の選評」で、最終候補作が「文章もきれいで読みやすく、完成度もそれなりに高いのだが、小さくまとまりすぎている」といった感想が多くなるのにはこういった理由がある。

 異才や型破りな作家が出なくなったのは、芥川賞というより、そもそも新人賞の問題なのかもしれない。