しかしこの「そもそも論」は、令和において年長側がわきまえなければならない事実として迫ってくる。
もちろん、すべての若者がこうではないことは前提ではあるが、こういった傾向があることは否めない。昭和の時代は同じ企業に定年まで勤め上げる人が多かったが、現在はそちらの方がむしろ少数派である。ウェットだった日本のビジネス上の人間関係がドライになっている傾向があり、上司との飲み会は、以前ほどビジネスパーソンにとって必要不可欠のものではなくなっているのだ。
社内でのコミュニケーション円滑化のために尽力することも必要ではあるが、同時に社外の人や他業種とも接点を持ち、より多くの情報や人脈を持つ人の方が評価が高い。
コロナ禍が「飲み」の価値観を
大きく変えた面も
そして何より、礼儀や義理、内輪のルールやしきたりは「古い」とされ、押し付けようものならハラスメントとなりかねない。実際には礼儀やしきたりが残る企業も多いが、ネット上でそれが取り沙汰された場合、「時代遅れ」の烙印を押されるのは企業の方である。
さらに、コロナ禍を経て変わったという指摘もある。実際、これまで「なんとなく」で続いてきてしまっていた、あまり意味のない定例会議や飲み会がコロナ禍を理由に回数が減らされ、世の中が通常に戻りつつある今も、その回数は戻っていないという話はよくある。
現代において、若手はコロナを理由に上司の飲み会に付き合わなくては良くなり、だからこそさらに「渋々行っている」「付き合わされているのだから、おごってもらって当然(お礼ぐらいは言うけれど)」という気持ちになるのかもしれない。
とはいえ、ネット上ではとかく意見が尖ったものになりがちだ。リアルには、上司との飲み会は面倒な面もありつつそこまで嫌いではないという若手も多いだろうし、部下に気を遣わせるのが嫌で積極的に飲みに行きたくない上司もいるだろう。
そして、円滑にコミュニケーションをこなしている上司、部下も多くいるはずである。