筆者の経験としては、おごられる側だった頃よりもむしろおごる側になってからの方が気を使うことが多い。押しつけがましくなっていないか、おごるのをいいことに、付き合わせてしまってはいないかといった気持ちが先行するのである。
一つ言えるとすれば、おごる側にもそれなりの難しさがあるため、だからこそ相手が素直に喜んでくれるとうれしい、ということだろう。どの程度までお礼を言うのを良しとするかは人によるが、若者におごった際に、相手が機嫌良くその場を楽しんでくれていることほどうれしいものはない(と思うのだがいかがだろうか)。
親子ほど歳が離れた部下・後輩ともなれば、それこそ親心で「たくさん食べてほしい」「食べたいものはなんでも頼んでやろう」とも思ってしまう。
若者のコンディションに対する
中年の「心配センサー」
自分が若い頃を振り返ってみれば、おじさんやおばさんたちがなぜ「食べなさい、もっと食べなさい」と言うのかわからなかったし、「ちゃんと食べてる?」と聞かれるのかもわからなかった。
おじさんやおばさんになると、自分が通ってきた道であるだけに若者のコンディションは本人以上にわかることがある。以前見たときよりも痩せていたり、食欲がなさそうだったり、顔色が悪かったりする人に対して、(主語が大きくて申し訳ないが)中高年は心配センサーが働いてしまう。
そのセンサーがうざいと思われることもあるのは承知している。しかしだからこそ、素直に喜ばれればうれしいし、つれなくされれば悲しい。若者は上司に対して過剰に気をつかう必要はないが、中高年の中には「おいしそうに食べている若者を見るのが好き」な層もいることを覚えておいて損はないだろう。