李氏を悼む花束の数々、庶民に近い首相だった

 安徽省合肥市紅星路80号という、安徽省文史研究館の宿舎で、李氏は幼少時代を過ごした。李氏が亡くなったというニュースが広がると、ある中年の女性が小学生の息子を連れてきて、哀悼の意を表す花束を紅星路80号の建物の地面に置いた。この行動は、あっという間に多くの合肥市民の共同行動となり、人々は長蛇の列を作ってこの建物の前に花束を置いた。

「インスタントラーメンを食べ、真相を語る」中国で李克強氏を悼む感動的光景が溢れる理由安徽省合肥市で、李氏が幼少期を過ごした住宅の外に置かれた花束 Photo:Future Publishing/gettyimages

 深夜1時を過ぎても献花の市民は依然として後を絶たない。花束はやがて小さな山となり、花の垣と変わり、やがては花の山脈のように紅星路80号を囲む存在となった。数人の若者は、安徽省の名山でもある黄山から取ってきた菊の花を紅星路80号の近くで哀悼に来た市民に無料で配布していた。タクシーの運転手も紅星路80号に行くお客さんを見て、無料で送客した。人口800万人の合肥市で、献花した市民は300万人にも達したと言われる。

 河南省の省都・鄭州市鄭東新区の中央公園(セントラルパーク)と如意湖文化広場も李氏の死を悼む人が集まった。この周辺には河南芸術センター、鄭州国際会議展覧センター、ミレニアムプラザ(千禧広場)などがあり、外国人観光客の記念撮影や周辺住民の憩いの場となっている。特にミレニアムプラザは、巨大なトウモロコシに似ていることから、地元の人々に「ビッグコーン」と呼ばれ、鄭州市ないし河南省のランドマークの一つとなっている。如意湖のほとりには、巨大な李氏の写真が立ち、花の海に囲まれた。

 地元では、ちょうどマラソン大会が開催されたが、ランナーたちが李氏の写真を透明のビニール袋に入れ、背負っていたリュックサックに貼り付けて走った。「かつて省のトップだった李氏に最後にもう一度この土地を見てもらいたかったからだ」と追悼の意を表している。

 安徽省定遠県の九梓村には、李氏の先祖代々の家がある。李氏は中学時代にここで1カ月間暮らしたことがあって、その茅葺き(かやぶき)の古い家も追悼の花に囲まれた。

 このような光景は李氏所縁のその他の土地でも見られる。「なぜ李氏の死を悲しむのか。彼が(私たち庶民の常食でもある)インスタントラーメンを食い、真相を語るからだ」とSNSに書く人もいる。その投稿にはいろんな仕事の場でインスタントラーメンを食べている李氏の写真を添付している。「政治人物の死をここまで悲しむ市民たちの感動的な光景は、周恩来首相死去後以来だ」と感心するコメントを述べる人もいた。

 もちろん、冷めた目で李氏の死を見ている人もいる。「大した実績を残していない。なぜその死を悲しむのか、理解できない」と発言した人間は中国国内にも、日本の新華僑社会にもいる。あるSNSのグループのリーダーは、「こういう発言をする人間は絶対許せない。グループからつまみ出したい」と憤慨している。李氏への評価が中国人社会に微妙な波紋を広げている。

(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)