裁判の判決が引き金となり
各州が一気にカジノ合法化へ
1981年、最終的に裁判所(合衆国第五巡回区控訴裁判所)は、セミノール族のビンゴ場経営を認めます。セミノール族の自治区なのだから、自分たちの土地で何をしようが州は関与できない、というわけです。
それまでは、多くの部族では、そんなことをしたら州法違反で罰せられてしまうのではないかと恐れていましたが、この判決や後の連邦最高裁の判決などによって、インディアンたちの中でカジノ建設のブームが来るんです。1990年代から2000年代にかけて、インディアン保留地で賭博産業が急速に発展していきました。今は、半数以上のインディアン保留地にはカジノがあるという状態になっています。
おもしろいことに、彼らのカジノが利益を上げると、それぞれの州も徐々に賭博を合法化していくのですね。そして現在の「賭博大国アメリカ」が誕生するわけです。
――裁判の判決が引き金になって、各州が一気に合法化へ動いたのですね。
インディアンが保留地でカジノを始めると、やはりどの州もはじめは難色を示します。それで、部族によっては、州の反対を抑えるために交渉し、マージンを州に払ったりします。すると、州もそれをあてにして財政を組む。それが常態化していくと、そもそも自分たちでカジノをつくってしまえばいいのでは、となるわけです。州の財源としてカジノをつくる。
お客さんは賭け事や周辺施設でお金を落としますし、それらの運営のために雇用も必要なので、カジノって、収益を生んでいるように思えるんですよ。日本でもカジノをつくって行政の収益源にしようとする案がありますが、すごくアメリカ的な考え方だと思います。実際、カジノ推進派は、アメリカの賭博産業のシステムを念頭において、検討していると思います。一方で、本来の地元産業の育成や保護はどうするのか? 収益金の用途や不正監視システムは、誰がどのように決め、責任を持つのか? 依存症への対策は? など、課題は多くあります。
――インディアン保留地でカジノを経営すればもうかるのでは、と最初に考えた部族は?
諸説あるのですが、アメリカ東部フロリダ州のセミノールと、西部カリフォルニア州のカバゾンという部族の名前がよく挙がります。カジノは立地条件がその収益を大きく左右しますが、いずれも大都市近くに保留地を持っている部族です。アメリカの東と西で、ラスベガスまで行かなくても、マイアミやロサンゼルス、サンフランシスコなど大都市の人たちがやってきます。
――カルフォルニア州はラスベガスのあるネバダ州の隣ですが、フロリダ州はラスベガスからだいぶ遠いですよね。彼らはどうやってその利点に気づいたのですか?
インタビューしてみるとおもしろいことがわかったんです。「カバゾンに最初にビンゴ場をつくったのはオレだ」というおじいさんが今も存命なのですが、戦争へ行った時に、白人たちがポーカーをしていて、勝った者はすごくもうけていた。それを見て、自分たちの保留地でもやってみようと思いついたというんですね。また、キリスト教会がお金を集めるためにビンゴをしていて、教会を訪れた先住民が、ビンゴ場があれば多くの人が来てくれるのではないかと考えたという話もあります。先住民社会の「外」で行われている賭博行為にヒントを得たということですね。
ちなみに、先住民社会にも賭博行為は古くから存在します。しかし、お金をかけたり、収益を得たりするということはなく、「運を競う」という意味合いが強かったようです。
――カジノ建設のブームが来るまでは、天然資源を持たないインディアンたちはゆるやかに滅んでいくしかなかったのでしょうか。今は、アメリカ大陸にはどれくらいの部族が住んでいるのですか?
現在、アメリカ連邦政府が認めている部族が574です。
――先ほど、コロンブスがアメリカ大陸にやってくる前は500以上とのことでしたが、部族数自体はあまり変わっていないということですか?
部族が再組織されているんです。19世紀後半までに、先住民は虐殺され、虐待され、さらに強制移住させられたりして、大きく人口を減らしました。20世紀に入ると、逆に、人数が少なくなった先住民をどう保護していくのかという議論が活発化します。1960年代には、公民権運動と足並みをそろえる形で、先住民運動が盛んになりました。そして連邦政府は、アメリカ先住民の権利を守っていくため、先住民の個々の部族の自治を認め、保護していこうと決めました。
一方で連邦政府は、「部族」を「定義」するわけです。どういうことかと言うと、同じ地域に長く住んでいて、血縁関係を含めたコミュニティがあり、リーダー(酋長)がいて、ひとつの政治システムを持っている。その上で、独自の部族の憲法をつくりなさいと強制しました。
そうした政治システムの条件を連邦政府が提示して、それに従い、その政治システムが機能するのであれば、部族と認め、自治を認め、法的な権利を与えよう、ということにしたんです。先住民側が決めるのではなく、連邦政府が「保護」するために認定し、仕分けていく。20世紀型の部族ですね。
もともとひとつの部族だったのが、こうした条件をクリアする上で、別々に申請しようということになったケースもあり、部族が再編成されていったのです。
――アメリカ連邦政府が認めているインディアンは、それぞれ、独自の憲法と政治システムを持っているわけですね。
はい。もちろん、アメリカの国民でありますが、独自の部族憲法と部族政府を持った「部族国家」の成員でもある。2つの国に属しているような形です。
――アメリカ合衆国憲法とインディアンの憲法がぶつかった場合は、どうなるのですか?
その場合はアメリカ合衆国憲法が上位に来ます。少し複雑なのですが、アメリカ合衆国は連邦制(※中央政府と州政府が明確に権限を分かち、国民国家を形成する制度。単一国家の反対概念)であり、合衆国を構成する50の州が独自の憲法と政府を持っています。この州の憲法と部族の憲法がぶつかった場合は、部族の憲法が優先されることもあります。これを判断するのがアメリカ最高裁判所です。
最高裁がカジノ経営を認めた理由と
「民主主義国家」アメリカの根本
――インディアン保留地におけるカジノを認めた判決は、こうした世の中の動きに後押しされてという部分もあったのでしょうか? または、アメリカ合衆国憲法に忠実にならった結果でしょうか?
先ほど、1960年代は先住民運動が盛んになったとお話ししましたが、黒人やインディアン、そしてLGBTQの人たち、こうしたいわゆるマイノリティの権利を守ろうという意識が、アメリカ人の間で強まっていったことが後押ししたというのもどこかにあったかもしれません。
ただ、アメリカの最高裁判所というのはすごくて、アメリカが建国されて以降、白人の入植者とか、州とか、政府とかが、どれだけ先住民の土地を奪っていっても、最高裁だけは三権分立を貫き通すんです。
というのも、アメリカ合衆国憲法というのは、明示こそしていませんが、インディアンの部族は、基本的には「主権国家の集まり」、つまり外国だと捉えていたんですね。根拠としては、先住民たちは外国と同様のステータスを持っているので、私たちは、個々の部族ときちんと条約を結んで、土地を入手し、民主的にアメリカという国をつくっていくんだ、それが本来あるべき、正当な土地の獲得の仕方なんだと、こういう建前なんです。
無理やり土地を奪ってしまったら、ヨーロッパの絶対王政と何ら変わらない。私たちは民主主義の国をつくったのだから、先住民ともきちんと話し合い、交渉をして、土地の取得を進めていくんだと。そのため、独自の憲法と政治システムを持てば、自治を認める、法的な権利を認める、とした理由がわかりますね。
インディアン保留地を、憲法を持つ主権国家として扱う。アメリカ合衆国という土地の中で生活をしているけれど、部族は憲法を持って自治を行っている国であり、州といえども簡単に口出しすることはできない。そこはアメリカが建国されて以来の原則であり、最高裁はこの原則を支持しているというわけです。
一方で、先住民への富の収奪や暴力、州による部族政府への介入は歴史上ずっと続いてきました。最高裁はこうした暴力とは距離を置き、21世紀の今にいたっても、基本的にはインディアン保留地の自治と権利を支持し続けているんです。国家建国の原則は守ろうという最高裁の方針は、実は1830年代にすでに確立されていたんですね。
――なるほど、そうしたロジックなのですね。アメリカを建国した際の原則に、忠実に則って判決を出したと。一方で、カジノの収益を上げていない部族は今も貧しいということでしょうか。
カジノというのはやはり都市部でないと成功しません。全体の半分くらいの部族はカジノを経営していますが、大きな収益を上げるのは本当に一部。カジノが先住民全体の経済活動を盛り上げているというわけではありません。ただ、ほかにも盛んな産業はあります。例えば、ガソリンスタンドやたばこ店です。税金がかからず安く買えるので、皆、わざわざ買いに来るんですね。観光や民芸品などで生計を立てている人たちも多いです。
――インディアン保留地内に免税店がある。
そうですね。ショッピングセンターやアウトレットもあります。経済的には何のリソースも持っていない部族は、どうやってお金をつくっていくか、貧しいままでいくか、それとも自分たちでどうにかしていくか、つねに選択を迫られています。不安定ながらも連邦政府に支援を要求していくこともひとつの選択ですし、保留地を出て都市部で出稼ぎすることもひとつです。
ただ、保有地で自治を行うには、教育、食、インフラなどのためには、一定の資金が必要です。インディアン保留地における免税という仕組みをうまく活用した商売は、保留地で生き残るための現実的な手段といえるでしょう。