インディアンが保留地で得た
利益は税金がかからない
明治学院大学国際学部国際学科准教授。2009年、カリフォルニア大学デイヴィス校アメリカ先住民研究科博士課程修了。博士(アメリカ先住民研究)。専門はアメリカ近現代史。単著に『カリフォルニア先住民の歴史』(彩流社)、『インディアンとカジノ』(ちくま新書)、共訳書に『11の国のアメリカ史』(コリン・ウッダード著/上・下巻/岩波書店)。カリフォルニア州のとある先住民保留地では「Kele(キーレ/雲を呼ぶ人)」と呼ばれている。 Photo by H.K.
アメリカ中西部のアパッチ族や、ディズニーアニメ「ポカホンタス」で有名なバージニア州のポーハタン族、あと、日本ではホピ族も有名ですね。
ホピ族は、アメリカ大陸でもっとも古い部族のひとつです。ホピの世界観を記した「石碑」に、太平洋戦争で日本に投下された原爆についてが予言されていたとして、日本で1986年に映画化され、当時かなりブームになりました。
私は毎年、ホピ族の保留地へ学生たちを連れて行っており、また、今年は、ホピ族の方に日本に来ていただきましたが、彼らは伝統をとても重んじていて、基本はクローズドです。
保留地での写真撮影もNGなんです。しぶとく交渉した結果、厳しい約束を交わして、テレビクルーや観光客が入ることが許可されることもありますが、個人的に保留地を訪れたり、研究者が調査に訪れたりというのは、かなりの信頼関係がないと難しいと思います。
ホピブームに乗じて、民芸品、さらには墓の中の骨までが、研究者や収集家によって無断で奪われたことがあったんですね。
――もともと、先生が先住民に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?
高校生のときに短期留学でアメリカで生活したことがあったんです。そこで、インディアンの保留地にも滞在する機会がありました。アイダホ州のラップウェイというところです。そこは経済的にとても貧しいエリアで、皆が酔っ払っていました。当時16歳の私は、アメリカにこんなところがあるのかと衝撃を受けたんですね。帰国し、調べてみようと思っても、そのことについて書かれている本がありませんでした。それで、大学に入学したら自分で研究してみようと思ったのがきっかけです。
――カリフォルニア大学の大学院でアメリカ先住民研究の博士号を取得しています。
当事者の声が聞きたかったんですね。1960年代以降、先住民復権運動というのが世界的に盛り上がっていくのですが、そのひとつの成果として、先住民のことは先住民が研究するべきだという考えが広まったんです。征服した側ではなく、当事者が当事者目線で研究する。それで、カリフォルニア大学の大学院にある先住民研究学科、ネイティブ・アメリカンスタディーズへ入学しました。
教員は全員、先住民であり、そこでは、私がそれまで学んできた、「アメリカ人が描く先住民」や「アメリカ国家史の中の先住民」とはまったく違った観点があったんです。歴史を描くには本当にさまざまな視点が存在する、という驚きが、現在までの私の研究のエネルギーにつながっているのだと思います。
――長年、研究されてきた視点で見て、インディアンの生活で大きな変化を挙げるとしたら、何でしょうか?
今回の映画のテーマでもありますが、保留地に追いやられて貧しい生活をしているインディアンがいる一方で、「新しい先住民社会のあり方」をデザインし、経済的にリッチになるインディアンも増加している点です。
映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』では、インディアン保留地から石油が出て、オセージ族がリッチになるという歴史がベースとなっています。先住民たちは、もともと広大な土地に住んでいましたが、あとからやって来た入植者に追いやられて、今は、インディアン保留地という、より小さな土地へ押し込められています。
しかしこの保留地というのは、インディアンたちの専有地であり、税金がかからないんですね。そのため、石油が出たら、利益はその土地に住むインディアンたちのものとなる。石油が出た部族は大もうけをするんです。
――自然資源があるとわかれば、インディアンたちはまた追い出されそうですが、保留地の権利はきちんと守られてきた。
そうなんです。実は、保留地におけるインディアンの権利の多くは意外としっかりと守られています(もちろん、不当に権利を奪われるケースもこれまで多くありましたが)。それには背景があって、アメリカが建国されたとき、アメリカ政府は、先住民の土地を入手するため、個々の先住民と条約を結びました。保留地へ移住してください、代わりに土地は条約できちんと保障します、と。建国から約100年の間に、こうして締結された条約は数百にのぼります。
理由は後述しますが、現在もこの条約を守るというのが、アメリカの基本的なスタンスです。アメリカ政府は、最低限の条件さえ満たせば、保留地で行うことに関してはインディアンの権利であり、責任でもある、と。ですので、この土地での経済活動(例えば石油採掘)には、政府や州は口出しができず、利益が出ればそれはインディアンが手にすることができる。このようにしてリッチになったインディアンのはしりが、オセージ族です。
これと同じことが、ここ30年、カジノでも起こっています。税金がかからないので、インディアンは自分たちの保留地にカジノをつくって、リッチになっていく。
20世紀初頭まで、インディアンたちは「滅びゆく民」と考えられていました。貧しく、アルコール依存症や肥満体質の者も多く、自殺率や幼児の死亡率も高い。
1960年代以降、確かにアメリカ内で先住民の権利に関する認識は高まりましたが、アメリカの資本主義社会において、貧困からはい上がることができなかった。さらに1970年代以降はベトナム戦争の影響でアメリカ全体が疲弊し、政府は条約や政策で約束してきた先住民のための予算を削減。追い込まれたインディアンの中から、保留地にビンゴ場をつくって貧困から脱しようと考えた部族がいたんです。
アメリカ人は賭け事が大好きです。アメリカの賭博というのは基本的に、各州が規制していて、当時、賭博を合法化していたのは、ネバダ州とニュージャージー州くらいでした。ネバダ州のラスベガスなどへ行かないとできない賭博行為(最初はビンゴから始まり、次第に、高額掛け金のカジノが浸透しました)を、インディアン保留地へ行けば合法的に楽しめるということで、大評判になったんです。保留地では州の法律も適用されない。よって税金もかからない。それでそこのインディアンたちは大もうけしたんです。
それで何が起きたかというと、群が、ビンゴ場を無理やり閉鎖したのです。これは、ごく初期にビンゴ場を作ったセミノール族の例です。「州法は、ビンゴは、教会やそのほかの慈善団体による資金集めの手段としてのみ合法化している。よって、インディアンが利益目的にビンゴ場を経営するのは州法違反だ」と。すると今度は、セミノール族が群や州を訴えるんですね。
――結果は?