早稲田のブックオフで未開封の「鬼平犯科帳DVDコレクション」が売られていたワケ写真はイメージです Photo:PIXTA

多くの人にとって日常生活に溶け込んだ存在になっている一大古書チェーン・ブックオフ。筆者はブックオフの特徴に、本との偶然の出会いに代表されるような「なんとなく性」があると分析する。ブックオフが持つなんとなく性はどのようにして生まれるのだろうか。本稿は、谷頭和希『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』(青弓社)の一部を抜粋・編集したものです。

買い取り基準が生み出す
「なんとなく性」

 さらにこの「なんとなく性」に関わる重要なシステムが、ブックオフの本の買い取り基準です。

 ブックオフの新しさの一つは古本の値段設定とその価格を決める方法にありました。従来の古本屋は本に精通した店主がじっくりと一冊一冊を手に取り、中身を見て、その総合的な観点から値段を決めていました。一方、ブックオフでは、古本の価格は「見た目のきれいさ」と「本の新しさ」というわかりやすい基準だけで決まります。いかにそれが古典の名著だったとしても、あるいは著者のサインが入っていようとも、見た目がよくなければ、あるいはそれが古い時代に印刷されたものであれば売り値は最低価格(多くは100円か200円)になるわけです。

 ここで注目したいのは、本がその新しさだけで選ばれることによる影響です。内容での選別がないとどうなるか。買い取りに出されたありとあらゆる本がすべてフラットに「なんとなく」店頭に並ぶのです。

 実際、ブックオフを訪れると、どうしてここにこんなものがあるのだろう、という商品が多くあります。逆にいえば、通常の書店や古本屋では置かれなかったようなものでも、ただひたすらその店頭に置かれることによって、本来であれば出会う可能性がなかった本と出会う機会が生まれているのです。実は、そのような出会いを生かして創作活動をおこなっているアーティストも存在しています。

 また、ここで付け加えたいのが、近年ブックオフが戦略として採用している「総合リユース店」へのシフトチェンジです。2010年代に業績が低迷したブックオフは、その業績回復策として、本以外のさまざまな商品を扱うようになりました。

 このあたりの事情について、「東洋経済オンライン」に掲載された野口晃による『あの“ジリ貧”ブックオフが地味に復活した――2年間の売り場改革で脱「古本屋」の境地』という記事を見てみましょう。

 野口は、2016年から18年に業績が低迷したブックオフが、その苦境を脱するために「総合リユース店」へのシフトチェンジをおこなった、と書きます。例えば、ファミリー層が多く訪れる店舗では、ホビーや児童書の買い取りを強化しました。あるいはサーフィンが盛んな湘南・茅ヶ崎のブックオフでは、サーフボードの販売までをもおこなっているというのです。

 もはやどこが「ブック」なのかと思わずにはいられませんが、このような方向転換は、ブックオフが持つ「なんとなく性」を増幅させているようにも感じます。なぜなら、本以外にもありとあらゆる商品が持ち込まれ、店頭に並ぶことで、ブックオフの店としての意図性がどんどん弱まっていき、すべての商品が徹底して「なんとなく」立ち並ぶ空間がそこに誕生するからです。

 先ほども例に出した池袋サンシャイン60通り店もそうです。上のフロアこそ「ブック」がたくさん並んでいますが、下のフロアには家電やらカードやらさまざまなものがぎっしりと並んでおり、周辺住民が持っていたありとあらゆるものがその空間に「なんとなく」堆積しています。こんな「古本屋」(あるいは本屋)はブックオフだけでしょう。

 以上のように、ブックオフはその買い取りシステムや買い取り基準によって、ほかの本屋や古本屋とは異なる「なんとなく性」を持つことになったのです。

コンビニエンスストアと
ブックオフの共通点

 ブックオフの空間の特徴として「なんとなく性」があることを書きました。そして、この「なんとなく性」がブックオフの空間の特徴や意義を作り上げていると私は考えています。この特徴を考えるときに比較したいのが、コンビニエンスストアです。