どうして売っているものが全く異なるコンビニとブックオフを比較するのか、と思う人もいるでしょう。しかし、実はブックオフは初期の段階から「コンビニ」と形容されてきた歴史があります。ブックオフ創業当時に出版された雑誌を見てみると、「マーケティング徹底のコンビニ感覚古本屋」(田中訓、「Venture link」1991年10月号、ベンチャー・リンク、72ページ)、「コンビニ感覚で暗いイメージを払拭」(『古本業界の革命児「ブックオフコーポレーション」のユニークな経営』「実業往来」1994年5月号、実業往来社、52ページ)など、ブックオフはよくコンビニと並べて語られていることがわかります。
実際、昼夜を問わず明るい蛍光灯に照らされていることや、店内が整然としていて見渡しやすいこと、ありとあらゆる種類の商品がそろっていることなどを踏まえれば、ある意味で、「コンビニとしての本屋」がブックオフなのだということもできそうです。
日本のコンビニは1970年代初頭にその産声を上げました。73年にファミリーマートとローソン、74年にセブンイレブンが創業し、現在に至るまで日本全国津々浦々にその店舗を展開し続けています。
消費生活コンサルタントとして、コンビニについての著書を数多く執筆している加藤直美は『コンビニと日本人』で各店舗のコンビニの品ぞろえについて以下のような興味深い言及をしています。
「コンビニ店舗での商品の売れ行きは、各店舗の立地条件や地域性によって異なりますので、細かく分析され、各店舗に合った品揃えになるよう日々調整されています。この分析に使われるのは、各店舗の売上げや客層などの個別データ(略)、地域の祭事や行事、天気予報、チェーン本部が独自に収集しているデータなど幅広いものです。(略)背景には、大量のデータや情報(ビッグデータ)を蓄積したり、素早く解析したりできる技術の進歩があります」(加藤直美『コンビニと日本人――なぜこの国の「文化」となったのか』祥伝社、2012年、235―236ページ)
このようにそれぞれのコンビニはどの地域でも自社チェーンの店名を掲げる一方で、ビッグデータの処理といった技術的な進展によってそれぞれの地域住民のニーズに見合った商品を過不足なく仕入れて売っています。
それに対して、ブックオフではその商品が周辺住民の書棚によって決まっていく「なんとなく性」を持っているために、陳列される商品は本来、店にとっては(およそ売れる見込みがない)不要なものや、通常の書店や旧来の古本屋ではほとんど置かれないであろうものが偶然紛れ込む可能性があります。
例えばブックオフ早稲田駅前店(いまはもうなくなってしまいました)の雑誌コーナーを見ていたときのこと。この店にはデアゴスティーニの『鬼平犯科帳DVDコレクション』がずらっと並んでいました。しかも未開封のままです。
谷頭和希 著
こうした光景は通常の書店では見ることができないでしょう。正規の仕入れルートではそのようなことをしても儲からないでしょうし、あまり意味がないからです。店側にはっきりとした意図があればこうした商品は置かれないでしょうが、ブックオフが持っている「なんとなく性」によって、こうした過剰な商品が、偶然に陳列されるのです。
このように、ブックオフの書棚には通常の書店や古本屋ではあまり見られないような過剰性と偶然性に満ちた空間が「なんとなく性」の結果として生まれています。そこで生み出される空間はコンビニと似た側面を持ちながら、しかしコンビニのように「地域に合わせて過不足なく商品を供給する」という完全に合目的的なものでもない、独特の空間といえるでしょう。