大好きだった洋服も
いつか着なくなる日がくる

 人間関係のバランスを意識するためのイメージワークとして、服でたとえてみましょう。

 着心地が良くて毎日のように着ていた服も、ふと、着なくなるときってありませんか? 嫌いになったわけでも、飽きたわけでもなく、なんとなく着なくなってしまった服。でも、あなたが着なくなった服でも、他の誰かにとってはずっと欲しかった服だったりもする。そういうときは自分のもとに留めておかず、誰かにあげるなど循環に委ねるのもひとつです。

 実は人間関係も似ているところがあって、当時は大好きで毎日のように一緒にいて、居心地が良かった人とも、ふと、違和感を感じたりなんとなく居心地が悪くなったりすることがあるんです。

 しかも服は変わらないけれど人間は変わります。相手も、あなたも、少なからず変化しています。私たちには心があり、感情がある。興味も変わるし、やりたいことも変わる。周りの人との関係も変わる。だから見た目はあまり変わっていなくても、お互い私たちは常に変化し続けているんだということを理解しておくことが必要です。これは親子でも、友達でも、親友でも。

 そして離れて行く人は、あなたの「今」にはあまり必要がない人になったと考えるのもひとつです。当時はお互いに必要だった。けれど、それも変わった。見捨てるとか価値がなくなるのではなく、今の自分にとっては必要ではなくなった、ということなんです。

 もしかするとあなたは新しい人と出会うタイミングかもしれません。親元を離れて社会に出たから、出会う人もいます。友達と離れたから、新しい友達に出会うこともあります。

 あなたは常に、誰かにとって必要な人なのは変わりません。一緒にいる人が変わるということは、新しいドラマがスタートするということ。時には人間関係も手放していいんです。あなたに会いたい誰かが待ってますよ。

「自分は幸せになれない」
という思い込みをやめる

 夜の飲食店で働いていたとき、ママからパラリンピックの写真を渡され「この人たちのこと、どう思う?」と質問されました。私は「輝いてると思います!」と答えました。

「じゃあ、この人たちのことを見て、足がない可哀想な人たち、身体が不自由で幸せになれない人たちと思うかい?」

「そんなこと思うわけないじゃないですか!」

「そうだね。この人たちは多くの人とは違うかもしれない。生きてて不自由なこともあるかもしれない。けれど“可哀想な人”でも“幸せになれない人”でもないわよね。じゃああなたは自分のこと、どう思ってる?多くの人と違う価値観のマイノリティ、LGBTで、生きてて不自由なこともあるわよね。そんな自分を“私は可哀想”とか“私は愛されない、幸せになれない”と思い込んでないかい?