図星でした。
そこで教わったのが、自分のことも誰のことも「可哀想な人」と決めつけない、「幸せになれない」なんて前提はやめるということです。
変でいい、変わってていい、みんなと違ってていい。そして、そのまま輝いていい。
この「そのまま輝く」というのは、誰かになろうとしないこと。
例えば私の場合は「もっと本物の女性みたいにならないと愛されない」と思わないこと。自分を女性の劣化品、出来損ないだと思わないこと。
ルビーもダイヤモンドもどちらも素敵でいい。ウサギがヒラメになろうと思わなくていい。豚肉も牛肉も鶏肉も、どれも別で美味しいでしょ。
個性的な服は、ファミリー向けの○○モールでは売れなくても原宿や渋谷で売ると、世界中から「この服が欲しかったの」と求められます。
それから私はLGBTである自分を、マイナス評価ではなくプラス評価できるようになったんです
「誰かのために」ではなく
「自分のために」生きる
RPGで勇者が村から出るとモンスターに襲われるように、あなたが社会に出ようとするとあなたの好きを壊そうとするモンスターに襲われることがあります。
下の図をみてください。三角形が「あなたの個性や価値観」、丸が「世の中の常識や当たり前」です。
このはみ出た緑色の角の部分を指して「いつまで○○やってるの? そんなの続けてても就職には役に立たないのよ」と、あなたの好きを価値がない、就職には必要ない、と否定してくる人がいます。それだけでなく「あなたに足りないのはこの隙間、ここを身につけないと立派なオトナになれないよ」「人の役に立ってこそ一人前のオトナなのよ」「あなたのためを思って言ってるの」と足りない部分(=図のグレー)を指摘されます。
確かにそれを必要とされる会社や生き方、時代もあるかもしれません。しかし、それをあなたが望まないのであれば、無理して丸に収まらなくていいんです。
今は幸せの多様性の時代。生き方や働き方も多様性の時代です。そのために必要なのは、誰かのためではなく自分のために選択をすること。
誰かのために生きている人は、それが報われているときはいいのですが、相手に感謝されなかったり報われなかったりしたときに「私の人生何だったんだろう、こんなに相手のために生きてきたのに」と苦しくなります。自分で選択をして生きてきた人は、報われなかったときも誰かのせいにしません。後悔も少なくなります。
吉井奈々 著
親のために選択を諦めなくていい。親も子どものために自分のやりたいことを我慢しすぎないでいい。誰かの「ために」生きるのと誰かを「大切に思って」生きるのは大きな違いがあります。
あなたの人生の主役はあなたです。選択もあなたがしていいんです。選択したときには親が望まない道だったとしても、あなたが幸せな顔をしていたら、それもひとつの親孝行になっているかもしれません。