「⚪︎⚪︎さんがあなたのことを褒めていたよ」と、人を介して褒められた話を聞くと、人は2倍うれしいのだという。褒めてくれた人、そしてそれをわざわざ伝えてくれた人、2人分の好意を感じるからだ。それでは逆に「××さんがあなたの悪口を言っていたよ」と伝えられた場合はどうだろうか。(取材・文/フリーライター 鎌田和歌)
「あんなことを言われて大丈夫?」
聞いた悪口をわざわざ伝える人たち
些細な話ではあるが、最近立て続けに友人たちからこんな話を聞いた。彼らはそれなりに名が知られており、ネット上でその評判が書き込まれることがよくある。
中には好意的な声もあればシビアな声もあるため、普段は自らエゴサ(エゴサーチ)をしない人もいる。それなのに良くない評判を、わざわざ伝えてくる知人や友人がいるのだという。
「『あんなことを書かれていたけれど大丈夫?』と心配そうに聞いてくる人もいれば、『こんなあだ名をつけられたぞ!』と笑いながらネタにしてくる人もいる。どちらにしてもうれしくない。無表情になるので察してほしい」
「『ネットでひどい書き込みが多いけれど、どうやって気持ちを整えているんですか?』と聞いてくる人もいる。『人が心配するほどひどい書き込みが多いのか』と落ち込むし、『あなたが思っているよりこちらの心は強くないのだが』とも思う」
有名人たちにこのようなことを言ってしまう人は、「有名なのだからちょっとやそっとの批判的意見には慣れっこだろう」と思っているのかもしれない。けれど、そうではない。
書き込まれた批判的意見や誹謗中傷の類を自分で確認するのも嫌なものだが、人から「書かれてたね」などと言われた場合、自分ではそれを見ていないだけに、どのような内容がどれほど書かれていたのかを想像するしかない。
悪い想像というのは際限なく広がってしまうもので、実際に書かれていたのはほんの一言かもしれないのに、心の中には無数にあったかもしれない悪口が刻み込まれてしまう。