「こいつは世界を変えるぞ」。1972年、ロバート・ノイスは両親の結婚50周年記念パーティーで、シリコン・ウェハーを高く掲げて宣言した――。半導体を巡る国家間の攻防を描いた世界的ベストセラー、クリス・ミラー著『半導体戦争』では、時代とともに半導体の重要性が高まっていく歴史も詳述している。特集『半導体戦争 公式要約版』(全15回)の#5では、コンピューティング産業、そして米国の国家全体の命運を変えた米インテルが起こした半導体革命に迫る。
インテル創設者のノイスとムーアが思い描いた
トランジスタが史上最安の製品となる未来
1968年は、一言でいえば革命の年だったといっていい。北京から、ベルリン、バークレーまで、過激派や左翼たちが体制の破壊を目論んでいた。北ベトナムのテト攻勢はアメリカの軍事力の限界を試す試金石となった。それでも、世界の大手新聞の数々を出し抜き、あるスクープ記事を報じたのは、『パロアルト・タイムズ』紙だった。あとから振り返るとその年のもっとも革命的な出来事を報じていた。
「創設メンバーがフェアチャイルドを去り、独自の電機メーカーを設立」
ロバート・ノイスとゴードン・ムーアによる謀反は、資本主義の廃絶を夢見ていた抗議活動と比べれば、かわいいものだった。フェアチャイルドのノイスとムーアは、ストック・オプションが与えられていないことに不満を抱き、ニューヨーク本社からのたび重なる干渉にうんざりしていた。ふたりの夢は体制を破壊することではなく、築き直すことだった。
ノイスとムーアはその10年前にウィリアム・ショックレーのスタートアップを去ったときと同じくらいあっさりとフェアチャイルドに見切りをつけ、「集積されたエレクトロニクス(Integrated Electronics)」の略である「インテル(Intel)」を創設する。ふたりは、トランジスタが史上最安の製品となり、世界中で数兆の数兆倍という個数が消費される未来を思い描いていた。
創設から2年後、インテルは最初の製品を発売する。それはダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)と呼ばれるチップだった。
データ“記憶”の集積回路DRAMの登場
使いまわしで半導体の量産が可能に
1970年代より以前、コンピュータはシリコン・チップではなく、磁気コアと呼ばれる装置を使ってデータを“記憶”していた。磁気コアとは、格子状に並んだ微細な金属のリングをワイヤーで接続したもので、リングが磁化されると1、磁化されていないと0というデータが蓄えられる。
ところが、1と0の記憶の需要が爆発的に膨らむ一方で、ワイヤーやリングの微細化には限界があった。部品がこれ以上小さくなれば、手作業で組み立てるのは不可能になる。つまり、磁気コアでは、コンピュータ・メモリの爆発的な需要増にとうていついていくことはできないのだ。
1960年代、IBMの技術者たちが、小さな金属リングよりも効率的にデータを“記憶”できる集積回路の構想を描き始めた。そのひとりがロバート・デナードだ。
彼は微細なトランジスタを、電荷を蓄えたり(1)放出したり(0)するコンデンサと呼ばれる小型の記憶素子と組み合わせた。コンデンサは時間がたつと放電してしまうので、彼はトランジスタを通じてコンデンサに繰り返し帯電させ続けることを思いついた。このチップは、繰り返しの帯電が必要になることから、ダイナミック(動的)・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)と呼ばれることになる。DRAMは今日に至るまで、コンピュータ・メモリの根幹を担っている。