東京オリンピックを“完全な形”で行うのは無理だったのか

――東京オリンピック・パラリンピックは、当初2020年に行う予定でした。安倍首相(当時)が「完全な形で開催したい」と言って1年延期し、2021年の7~8月に開催されましたね。どのような形で開催するかギリギリまで検討が行われ、最終的には無観客開催という形に決まった。国際オリンピック委員会(IOC)や政府は東京五輪を開催したい、観客も入れたいと考えていたが、当時の感染状況は悪化の兆しを見せていました。

尾身茂氏尾身茂(おみ・しげる)氏
結核予防会会長。1990~2009年WHOに勤務、西太平洋地域のポリオ根絶を達成。西太平洋地域事務局のトップとしてSARS制圧の陣頭指揮をとった。2020~2023年、新型コロナウイルス感染症対策分科会の会長を務めた。Photo:Diamond

尾身:そもそも五輪を開催するかどうかにかかわらず、あのまま行けば感染拡大による深刻な医療ひっ迫になると私たちは判断していました。そんな状況下で五輪を開催したら、どうなるか。感染拡大・医療ひっ迫のリスクはさらに増大します。だから私は、2021年6月2日の衆議院厚生労働委員会で「今のパンデミック状況で(開催するのは)普通ではないので、そうした中で開催するのであれば、主催者の責任として感染管理体制を強化すべきだ」との趣旨を述べたが、「普通ではない」だけが強調された。この発言は政権の一部を怒らせたようですが……。

――専門家として言うべきことは言ったと。

尾身:言わなければ、我々の判断が歴史の審判に耐えられません。もし、当時の感染状況の危険性をアナウンスせずに、当初の意向のままに五輪を開催して、パブリックビューイングなど人々が密集するような場を放置していたとしたらどうでしょうか。それで医療崩壊が起きてしまったとしたら? 実際はオリンピック開催の頃には、緊急事態宣言を出さざるを得ない状況になりました。

 ただ、このように言うと「政府と専門家組織はいつも対立していたのでは」と誤解されるかもしれません。実際は、少しの例外はあるものの、政府は多くの場合、専門家の意見に耳を傾けてくれたし、連携もできていました。

――東京五輪に関する提言の中には、いろいろなデータを示した上で「無観客が望ましい」といったかなり立ち入った提案をしたものもありました。結局、東京五輪は本当に無観客で行われた。ただ、尾身さんご自身は「観客を入れたとしても、会場内で感染爆発が起きるとは思っていない」と考えられていたそうですね。

尾身:はい。心配したのは、地域での感染です。そもそも当時、4連休、お盆、夏休みなどで人流が増え、デルタ株の出現もあり、オリンピックが開催されなくとも感染拡大による医療ひっ迫が起こると判断していました。

――「それなら、有観客で開催してもよかったのではないか」といった批判も出ました。

尾身:有観客で開催してしまうと、そのころ国民に求めていた「人と人との接触機会を少なくしてほしい」というメッセージと矛盾してしまう。