基本を繰り返せる心の強さ
――「モンスター」「怪物」と呼ばれる井上尚弥選手ですが、森合さんが取材する中で普段はどんな印象ですか。
森合 普段の井上選手は、めちゃくちゃイケメンの好青年という印象ですね。聞いたことにいつも丁寧に答えてくれます。不思議なのは、誰もがピリピリするような大きな試合の前ほど饒舌(じょうぜつ)になること。多分、強い相手と対戦するのが本当に楽しみなんでしょうね。強い相手とやることで自分が成長できる、それが楽しみで仕方ないのだと思います。
逆に、安全だと言われているような試合の前はピリピリしていて、周りのムードに流されないよう自分を律しているのだと思います。楽に勝てる相手などいないと、絶えず自分に危機感を植え付けています。
――本書のテーマとなった「井上尚弥の強さ、すごさ」について、今はどう捉えていますか。
森合 結局まだよく分からなくて。というのも井上選手は、まだ強さの一部しか見せてくれていないんですよ。
直近では今年7月に行われたスティーブン・フルトン戦で世界4階級制覇を成し遂げたのですが、この試合がまたものすごい内容でした。今まで試合ごとに強さの引き出しを一つ一つ開けていたのを、この試合で一気に出して、さらに違う引き出しがあることも見せつけた感じ。正直、強さの底が見えません。ボクサーの強さを表すキーワードにスピード、パワー、頭脳などがあるとして、井上選手はその一つ一つが突出しているうえに、さらに細かい引き出しを持っています。
――その底なしの強さを得るために、井上尚弥選手はどんな練習をしているのでしょう。
森合 時々練習を拝見しますが、多分、他の選手と違うのは地味な練習をひたすらやっていることでしょうか。超一流の選手は地味な動きを永遠に続けることができると、あるトレーナーも言っていました。ステップを等間隔で踏んで、ジャブを出して、右ストレートを打つ。この基本の動作を愚直に繰り返すことができ、しかもそれが苦にならない。右ストレートに飽きてアッパーやフックを打ったり、スパーリングに流れたり、そういうことがないんです。基本を繰り返せる心の強さが、モンスター・井上尚弥を作った根底にあると思います。
――現在(取材時)、本書は第3刷となりボクシングファン以外にも読者が広がっています。これからどんな方に届けたいですか。
森合 ビジネスパーソンの方にも響く内容が詰まっていると思っています。登場するボクサーの生き方を、ご自身の人生に置き換えて読んでいただくことができるのでは。僕自身も仕事で大きな目標に向かうとき、失敗したときや結果が出なかったときにどう対処するかを井上尚弥と対峙したボクサーに教えてもらいました。
――12月26日には今年最大のビッグマッチ、世界スーパー・バンタム級4団体王座統一戦が行われます。井上尚弥選手が勝てばついに日本人初の2階級4団体統一王者となりますが、どんなところに注目されていますか。
森合 井上選手と対戦相手のマーロン・タパレス選手はそれぞれ2団体王者で、この試合に勝った方が4本のベルトを集めることになる、いわば一番強い者同士の対戦です。たとえルールが分からなくても、負けない気持ちのぶつかり合いが伝わってくるのがボクシングの魅力だと思いますので、多くの人に見ていただきたいですね。
二つの拳だけでこれだけ世界を熱狂させてきた井上尚弥選手が、次はどんな強さを見せてくれるのか、僕も楽しみにしています。
1972年、神奈川県横浜市生まれ。東京新聞運動部記者。大学時代に東京・後楽園ホールでアルバイトをし、ボクシングをはじめとした格闘技を間近で見る。卒業後、スポーツ新聞社を経て、2000年に中日新聞社入社。「東京中日スポーツ」でボクシングとロンドン五輪、「中日スポーツ」で中日ドラゴンズ、「東京新聞」でリオデジャネイロ五輪や東京五輪を担当。雑誌やインターネットサイトへの寄稿も多く、「週刊プレイボーイ」誌上では試合前に井上尚弥選手へのインタビューを行っている。著書に『力石徹のモデルになった男 天才空手家 山崎照朝』(東京新聞)。