「増税メガネ」というあだ名が広がる岸田文雄首相「増税メガネ」というあだ名が広がる岸田文雄首相 Photo:SANKEI

現代の税負担率は
江戸時代と同じなのか?

「増税メガネ」という言葉が流行語大賞のノミネートを逃したのが忖度かどうかはさておくとして、大増税による国民生活の窮乏は事実である。

 増税の是非はともかく、国民負担率5割ともされる目下の租税公課負担は、よく江戸時代の「五公五民」に例えられている。つまり現在は江戸時代並みの過酷な重税にあえいでいるというわけだ。しかし現在の税負担率を江戸時代とほぼ同じと捉えるのは、端的に言って間違いではないか。

 かつて、とりわけ戦後の歴史学の中には階級闘争史観が優位的であった。これは江戸時代の封建社会を、武士=支配階級、農工商その他を被支配階級と規定し、この二者が互いに対立・緊張状態にあったとしたものだ。

 支配層は苛烈な重税による搾取を行って被支配階級を抑圧し、厳格な身分制のもと、圧政に耐えかねた被支配階級が時としてむしろ旗を立てて一揆を繰り返す。江戸期の庶民はとにかく重い税を搾り取られて生活に窮していた――。このような江戸時代の捉え方を「貧農史観」などと呼ぶが、近年、江戸時代の歴史研究が大きく進歩したことにより、このような概念は更新されつつある。

 そもそも江戸時代の身分制度とされる士農工商その他は、明治国家が作成した壬申戸籍の記載をのちの時代の人々がなぞっただけで、実際には武士=支配階級のほかは一般市民、というくくりが実態に沿うとされ、士農工商の四分野での身分区分を引用した江戸時代の解説は、現在では、ほとんどの教科書から消滅している。

 時代劇ではよく、江戸の町人の中に商人や職人がおり、身分の分け隔てなく酒をくみ交わしている描写があるが、その演出の良しあしを除くとしても、まあ正しいというふうに考えることもできる。農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである。