ベッドの横に隠された
凶器が意味するものとは

 ベッドの横に包丁が隠されているとは。警察も発見できなかったのだろう。こんなところに何故だろう。夫婦が一緒に置いたのだろうか。それとも1人が内緒で置いたのだろうか。

 練炭死が叶わなかったときに、改めて自殺を完結させるためのものなのか。それとも心中過程で片方が最期の瞬間にためらった場合に殺すためのものなのだろうか。後者が目的なら、なぜ包丁が2本必要なのだろう。

 そんなことを考え出すと、穏やかだった心に激しい動揺が起きる。防護服の中で火照っていた体が一気に冷えていく。背筋には冷たい汗が流れる。

 この隠された2本の包丁は、死をともにすることでつながり続けたいと思う愛の象徴なのか。それとも裏切りと怨念の象徴なのか。私自身、一体どちらの結末を望んでいるのだろうか。

 今日、私は苦痛に満ちたこの空間に残っているかもしれない、わずかなぬくもりを見つけに来たのか。それとも私たちが直面している社会がどれだけ冷たくて非情極まりないかを知らしめる証拠を発見しに来たのか。

 部屋の整理が進むと、2人の関係が正常ではなかったことを示す証拠が出てきた。1つはリビングルームの床に落ちていた2人の大型写真の一部がナイフで切り裂かれていたこと。もう一つは、ベッドのあった部屋のドアの内側にピンク色のリップスティックで「ひどいヤツ」と書かれていたことだ。相手に対する憤りがどれだけ強いかを示していた。

 けれども私は依然として愛の結末を見たがっていた。たとえ写真の一部が切り裂かれていたとしても、残った部分の入った額はリビングルームの隅にきちんと立てられていた。写真をナイフで切って終わるのではなく、その後に額を壁から外してきちんと置いたのだ。

「ひどいヤツ」と書かれたドアもじっと眺めていると、ウェットティッシュか何かで消そうとしたのか、字がぼやけている。「ひどいヤツ」と書いて終わったのではなく、それを消そうとした痕跡があるのだ。

書影
『死者宅の清掃』(実業之日本社) 『死者宅の清掃』(実業之日本社)
キム・ワン(著)蓮池 薫(翻訳)

 隠されていた包丁が愛の象徴だったという私の憶測は、あまりに感傷的だと言えるかもしれない。包丁をその場に置いた本当の理由を知ることはできない。しかし、その包丁が愛にまで届かなかったとしても、すくなくとも愛に向かっていたと信じたい。

 関係を断ち、消し去るためのものではなく、死を通してでもつながろうとした隠れた証拠品だと信じたい。同じ日に生まれることはできなかったとしても、この世とのお別れだけは同じ日、同じ瞬間にしたいという願い。

 夫婦が一生の思い出の中でたった1つでも大事に胸にしまっておきたいという、2人だけのための小さい勲章のようなものだと思いたい。

 自分が見たいと望む世界だけを見ようとする、偏見に満ちた清掃員の妄想だと否定されてもしかたない。けれども、心の片隅にそっとしまっておいて、思いつくたびに取り出してみたくなる妄想だ。そんな心の中の思いまで芽も出せずに枯れてしまうようなら、おそらく一日たりともこの冷酷な世界で生きていけないだろう。