不審死や自殺など孤独死現場の清掃を行う特殊清掃員が訪れたのは、中年の夫婦が心中したという部屋。そこには、夫婦の愛憎の痕跡が「あるモノ」と一緒に残されていた。韓国で特殊清掃員として働く著者が、現場に残された、届かぬままの「たすけて」の痕跡を記します。本稿は、キム・ワン『死者宅の清掃』(実業之日本社)の一部を抜粋・編集したものです。
不運を呼ぶ呪符
「都市ガスの供給を中断した」
依頼のあった710号室は、廊下の突き当たりの非常階段前の部屋だった。そこへ行くには廊下に沿って9世帯の前を通り過ぎなければならないが、男は依頼の部屋の玄関どころか、7階に降りてすぐの部屋の前すら通れないというのだ。710号室のオーナーである彼の姉は、家族で唯一の男だということで弟を代理人として来させたのだが、その期待に沿えず、早々と白旗を揚げてしまった。
考えてみれば、年を取っても気味悪く怖い気持ちは同じで、こんなときは年齢や性別に何の意味もない。人が自殺して長い間発見されずにいた部屋。おまけに死んだのは1人ではなく、2人。心中した賃貸者の家を見るとなれば、誰だって尻込みする。自分が慣れているからといって、他人に無理強いするのは酷な話なのだ。
――なら、外で待っててください。私が部屋全体の写真を撮ってから、それを一緒に見ながら相談する方法もありますから。終わり次第、電話します。
玄関のドアノブの上には500ウォン硬貨より若干大きい穴が開いている。中から施錠されたドアを開けるために電動ドリルにホールカッターを付けて、錠前をそっくり抜き出したのだろう。
ドアの前面には料金未納により都市ガスの供給を中断するという告知文がいくつも貼り付けられている。その少し上にはまるで不運を呼ぶ呪符のように、黄色い紙に赤い字で「予告した通り、都市ガスの供給を中断した」と印刷された「都市ガス供給中止完了通知状」が風になびいている。その周辺には書留郵便の到着を知らせる別の通知書も無秩序に貼られている。
貼り紙があるのは玄関のドアだけではなかった。家の中に入ると、冷蔵庫やテレビ、パソコン、洗濯機などの家電製品に、物品名と日付の書かれた、「赤紙」と呼ばれる差押え通知書が貼られていた。数えてみると7枚だった。
赤紙は、これを購入して使用していた人の身に何が起きたかに関係なく、新たな持ち主が別にいることを示すものだ。剥がしただけでも違法となる、実に恐ろしい効力を持った現実社会の呪符なのだ。
マンションオーナーの弟は、家の中の写真を見たいかという問いに最初はためらっていたが、差押えの札が何枚も貼られていると伝えると、見せてくれと答えた。
「この差押えの紙がついている限り誰もこの部屋のものを処分できません。新たな持ち主がいるということですから。最初にこの札を貼った裁判所の執行官に連絡して、今の状況を知らせ、差押えを申請した人が誰なのかを調べなければなりません。法的な助言が必要ならば、この問題に詳しい代理人を紹介します」
私の助言を受け入れたマンションオーナーの弟はその後随時、調査の進捗状況を知らせてきた。差押え申請をした債権者はカード会社で、債務者である中年夫婦が自殺したことを伝えるとすぐに債権回収を放棄したという。
人が死んで長い間放置されていた家の家電製品など、財産になるどころか、かえって料金を払って処分しなければならないやっかいなゴミでしかないということをこれまでの経験からわかっているのだ。カード会社が差押え解除を申請し、それを裁判所が受け付けるまでの、すべての手続きが済むまでに1カ月程度かかった。