刊行10周年を迎えた世界的ベスト&ロングセラー『嫌われる勇気』。日本ではあまり知られていなかったアドラー心理学の教えを、哲人と青年の刺激的な対話を通じて解説し、読者から圧倒的な支持を受けています。このたび10年の節目を記念して、著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が対談をおこないました。
2024年2月時点で『嫌われる勇気』の国内部数は296万部、さらに世界中で翻訳刊行もされておりその累計部数は1000万部超。異例の大快挙を成し遂げた岸見氏と古賀氏は、この10年をどう振り返るのでしょうか。「刊行から10年で変わったこと」をテーマに、じっくりと語り合うお二人の様子を全3回にわたってお届けします。(構成/森川紗名)
『嫌われる勇気』の出版は「他者貢献」だった
──まずは10周年を振り返っての率直な感想をお聞かせください。
古賀史健(以下、古賀) 「まだ10年しか経っていないのか」というのが正直な感想です。ずっと昔のような気がしますが、発売前当時の心境はよく覚えています。この本が出たらとんでもないことになるんじゃないか。そんな期待が強く渦巻いていました。
岸見一郎(以下、岸見) ふたを開けてみると、私たちの期待や理想をはるかに超える出来事が起こりましたね。国内でミリオンセラーになり、世界中のたくさんの人に読まれるようになった。『嫌われる勇気』を世に送り出せてほんとうに良かったです。
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。アドラー心理学の新しい古典となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(共著・古賀史健)執筆後は、国内外で多くの“青年”に対して精力的に講演・カウンセリング活動を行う。訳書にアドラーの『人生の意味の心理学』『個人心理学講義』、著書に『アドラー心理学入門』『幸福の哲学』などがある。
古賀 「1000万部も本が売れた」というより、「本を通して1000万の人と出合えた、繋がれたんだ」と最近とくに感じています。ありがたいですね。
──『嫌われる勇気』を出版したことでご自身に変化はありましたか?
岸見 まったくの無名だった私が、たまに「本を読んでいます」と人から声をかけられるようになったのは目に見える変化でした。とはいえ、『嫌われる勇気』のタイトルはよく知られている一方、必ずしも著者名がリンクしているとは限らない(笑)。
古賀 たしかに「アドラーが書いた本だ」と思っている人もいますね。
岸見 それについては、私はまったく不服ではありません。むしろ、著者とは関係なく、本の内容やアドラーの思想そのものが世界中の人に受け入れられた事実に、とても大きなよろこびを感じています。ずっと以前から「アドラーの思想が少しでも多くの人に知られるように」と願って仕事をしてきました。その志は、今も昔もまったく変わっていません。
──『嫌われる勇気』の刊行後、古賀さんは会社を立ち上げたり、ライターを育てる学校を開校されたりと、身のまわりの変化が大きかったと思います。
古賀 はい。それまではフリーライターとして一人で働いてきましたが、仲間を得て「誰かのために」仕事をする意識が強くなりました。アドラーの説く「他者貢献」の重要性が自分のなかに染みこんでいますね。
やっぱり、自分のために仕事をしたり、旅行にいったり、おいしいものを食べたりして得られる満足には限界があるんですよ。それよりも自分の働きかけで、社員や身のまわりの人が成長したり、幸せになったりするほうが、ずっと心が充実する。結局、誰かの役に立つことでしか生きるよろこびは手に入らないんだなと感じます。
ライター/編集者
1973年福岡生まれ。株式会社バトンズ代表。これまでに80冊以上の書籍で構成・ライティングを担当し、数多くのベストセラーを手掛ける。20代の終わりに『アドラー心理学入門』(岸見一郎著)に大きな感銘を受け、10年越しで『嫌われる勇気』および『幸せになる勇気』の「勇気の二部作」を岸見氏と共著で刊行。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』『取材・執筆・推敲』『さみしい夜にはペンを持て』などがある。
岸見 私たちが『嫌われる勇気』をこの世に送り出したことも「他者貢献」といえると思います。アドラーは心理学を追究する理由について「この世を変えたかった」と言っています。けっして私腹を肥やすとか利己的な動機ではありませでした。そして、その思いは私たちも引き継いでいる。本を手に取った人が人生を変える勇気を持てたとしたら、それは真の意味での「他者貢献」ではないでしょうか。
古賀 そうですね。仕事で出合った人に「あの本には救われました」とか、「本がきっかけで大学の心理学部を専攻し、今カウンセラーをやっています」とか言ってもらうたびに、読者一人ひとりの役に立っているのを実感します。「ほんとうにいい本なんだな」と他人事のように感心してしまうぐらいですね。
もうひとつ、『嫌われる勇気』出版後の個人的な変化を挙げるとするなら、「いい本」と「ベストセラー」が一致しうると確信できたことです。これは出版業界に生きる身として、大きい変化でした。『嫌われる勇気』がここまできたのは、決して「こうすれば売れる」「この要素が揃っている」みたいなコツを押さえたからではありません。やはり、読みものとしておもしろく、ここにしかない体験を提供できる「いい本」だから支持されたと思うんですよね。『嫌われる勇気』で得た経験は、僕が「本というコンテンツ」を信じる源泉になりました。
アドラーの教えは、次の世代へ
──身近な人が『嫌われる勇気』を読んで変わったなと感じたことはありますか?
古賀 身近な家族や友人は距離が近いからか、変化がわかりづらいですね。先ほど話に出てきた「仕事先で出合う人」など、すこし距離があるほうが変化を実感しやすいです。
岸見 私は、家族の変化を感じる機会がありました。『嫌われる勇気』をきっかけに、娘が私の仕事を理解してくれたのです。非常にありがたい変化でした(笑)。娘は、彼女の友人から『嫌われる勇気』の内容を聞いたそうで、ようやく父親の仕事の意義を認めてくれました。
古賀 へえ! 娘さんのどんな様子から「仕事を理解してくれた」と感じられたんですか?
岸見 『嫌われる勇気』が出てから娘は結婚しました。結婚式で親に手紙を読む定番のセレモニーをご存じですか? 娘がそれをやってくれたのです。手紙を読む開口一番、娘がなにを言ったかというと「私はお父さんから一度も叱られたことはない」。会場にどよめきが起こりました(笑)。アドラーの教えのひとつである「叱ってはいけない、ほめてもいけない」を私自身が実践していることを娘が証明してくれたのです。
娘が私との関係を振り返ったときに、「叱られなかったエピソード」を思い出せたのは、間違いなく『嫌われる勇気』の影響だったと思います。
古賀 その後、お孫さんがお生まれになったんですよね。
岸見 はい。現在、3歳と6歳の孫がいます。娘は子育てにおいてもアドラーの教えを意識しているようです。たとえば、可能な限りていねいな言葉で孫たちに接したり、日頃から「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えたりしています。アドラーのいう「横の関係」を築き、子どもたちと対等であろうとしているのです。
娘から質問されることもあります。「上手に立ち上がれたときに思わず『すごいね』と言ってしまったけれど、これはほめたということなの?」と訊かれたことがあります。
古賀 ああ、叱ったりほめたりはどうしてもしちゃうでしょうね。
岸見 ええ。アドラーの教えを頭でわかっていても、実践するとなると難しい。多くの人が経験されていることだと思います。娘の質問には「評価するつもりではなく、立ち上がったよろこびを子どもと共有するつもりで声をかけたのであれば、それはほめ言葉ではないよ」と答えました。
娘の努力の甲斐あってか、孫たちは「ありがとう」の言葉をよく口にします。単に言葉を発するのではなく、実感を込めて「ありがとう」と言ってくれるので、とてもうれしいですね。アドラーの考えを本で学んだ世代が子育てをし、アドラーの考えを自然と身に付けた次世代がすくすくと育っている。娘と孫たちを見ているとほんとうにそんな実感を抱きます。
(次回につづく)