三浦さんはいわき市の夫が経営する会社で被災した。その直後、放射線の影響を心配した夫(54)の強い勧めで、当時、小学生と幼稚園に通う3人の娘を先に飛行機に乗せて母(78)が暮らす広島に向かわせた。後から夫と車に荷物を詰め込み陸路で広島に入った。

 夫は仕事があるためいわき市に戻ったが、新学期がスタートしてから子どもたちはどの学校・幼稚園に通わせたらいいのか「就学問題」に直面した。

 学校の先生などに相談すると「いわき市の学校の再開がいつになるかわからないから、受け入れてくれる学校があったら受けて入れてもらってほしい」と言われたのはいいが、誰に相談したらいいのかわからず、途方にくれた。

 そんなとき、「いわきナンバー」の車を見た、広島市社会福祉協議会の職員が、「困ったことがあったら相談してほしい」と戸別訪問してくれた。

「子どもたちを広島市の学校に入学させたいが、どうしたらいいのかわからないと打ち明けたら、すぐに関係部署に電話をかけてくれて、子どもたちの転入先を決めてくれたのです」(三浦さん)

 そのとき、相談する場のありがたさが身に染みたという。置かれた状況は一人一人異なる。今も避難先に残るのか、それとも福島に帰るのか、13年経っても会員たちの悩みは尽きない。避難者という立場は崩さず、他の避難者に寄り添いながら支えになる存在でありたいと願っている。

過去の震災の教訓を生かし
一人も孤立させない支援を

「昨年、会員に行ったアンケートでは、『アスチカに求めていること、会員でいることの理由は何ですか?』という問いに対して、6割の人が『避難者同士のつながり』『精神的な支え』と回答されました。『つながり』と『情報』の二つが大事で、月の一度の会員への郵便物は、孤立していないことを感じる機会にもなっているのではないかと思いました」と、三浦さんは分析する。

 能登半島地震でも避難の長期化が懸念される。過去の震災での取り組みを参考にして、一人も孤立させないための支援、ピアサポートが必要だ。

(ジャーナリスト 村田くみ)