危険な鎮痛薬を売り続けた
製薬会社に9000億円の罰金

 本来的に、その仕事はなぜこの世界に存在しているのか。その仕事は誰のためになされるものなのか。そしてその仕事を通じてどんな世界が実現されるべきなのか。それを見失うとろくなことにならない。そしてそういうことはあらゆる場面で生じている。

「手段の目的化」という言葉は耳にしたことがあるでしょう。例えば「良い大学に入る」ことが目標になってしまった学生。その大学で何を学びたいのか、それを学んだ先でどんな人生を歩んでいきたいのか、それが無い以上、せっかく手にした「良い大学」での日々は不毛なものとなってしまう。似たような話です。色々なことで手一杯になればなるほど、認識できる時間的スパンも空間的スパンも縮小していく。目の前数センチしか見えなくなれば、その一歩先で待っている大きな落とし穴に気づくことはできません。

 世界に目を向ければ、もっと大きなスケールで同様の現象が起こっていることに気づくでしょう。目の前の利益のために、患者を麻薬中毒に陥れる危険な鎮痛薬を販売したアメリカの製薬会社が、9000億円近い賠償金を支払うように命ぜられたのも最近のことです。ご存じない方は「アメリカ・オピオイドクライシス」「パーデュー・ファーマ」などの言葉を調べてみてください。

 とにかく、製薬会社のなすべきことは、一にも二にも患者の健康に寄与すること。それ以上でも以下でもありません。それを忘れ、患者の健康を害してでも金を手に入れようとした結果、挽回不能な罰を受けることになったのです。

 自分のやっている仕事は誰のために、何のためになされるべきかを忘れてはならない、ということ。そして、その先に実現される善き社会を想像しよう、ということです。

 Do the right thing――善きことをしよう、真っ当なことをしよう。本来であればわざわざ掲げる必要もないようなスローガン。しかし、人間は恐ろしく脆く、恥ずかしいほどに弱い。Do the right thing 。目に付く場所に張り出しておいてもいいくらいです。また、現在の日本ではまだ意識される局面が少ないように感じますが、例えばアメリカに目を向ければ、企業が社会正義の実現に貢献しようとすることは最低限のマナーとなっています。