同時に、アートでも、ファッションでも、音楽でも、残存する不正義に対峙する姿勢や、公正な世界の実現を目指す態度は必須条件であり、そうでないものは応援されません。中にはお為ごかしの透けて見える企業キャンペーンが目に付くこともありますが、それでも社会が抱える課題に知らぬ存ぜぬを貫くよりは幾分マシと言えるでしょう。
よりよい世界を作る努力の
結果としてお金がついてくる
以上のことを仕事術的言葉に変換すればこうなります。
「コスパを重視するのであれば、善きことをせよ」
兎にも角にも、善きことをしようと努めれば努めるほど、ビジネスはうまくいく。それがこの世界の仕組みだということです。長期的な視野を持てば持つほど、その事実は確実性をもって感じられます。逆に言えば、短期的な視野しか持てない人にとっては依然としてズルの効能が魅力的に見えてしまうというのが悲しいところです。
そして最後に、蛇足だとは知りながら一つ付記したいことがあります。
上出遼平 著
それは、善き社会とは様々であるということ。人によって理想とする社会の形は違います。宗教や価値観によって、求める善は変わる。ある人にとってのユートピアは、別の誰かにとってのディストピアなのです。当然、ある人にとってのディストピアは、別の誰かにとってのユートピアです。
ここで肝要なのは、万人にとっての善なる社会を目指さなければならない、と思う必要は無いということです。もちろん、そんな社会が存在するのであれば目指すべきですが、そう簡単には見つからない。だからまず、あなたが理想とする世界を目指してください。もしかしたらそれは、あなたの目の前の大切な人ひとりが幸福に暮らしていける世界かもしれない。それで構いません。この世界は、そういった小さくごく個人的な善の積み重ねで少しずつ善くなっていくのだと、私は信じています。