だがこれまで、日本の生徒がこうしたALT(英語指導助手)の授業に触れることができるのは非常に限定的だ。地方なら特に、1つの学校に1人いるかどうかで、学校によっては3カ月に1回しかALTが来ないケースが多い。しかも、英語の授業でALTが来ても、実際に彼らがやることは日本人の英語担当教師のサポートで、英文や英単語を読んで聞かせるといった風である。

 ALTが自由に英語クラスを主導する権限も時間もないのが実情だろう。

 筆者が取材したALTは、自分たちが「英語の授業でうまく生かされていない」と言っていた。

 ALTがやることは、日本人の英語教師に頼まれて、時々単語や英文を読んで聞かせるといった程度だったという。

 さらに日本の英語教育制度自体、大学入試の際の、クイズのような記憶力重視の英語問題を解くことが最終目標となっているので、進学校によっては、なんとALTの存在が邪魔になるなどと日本でしか起こりえないようなクレームも出た。ALTが来ると、いつもの教科書の内容ではなく、特別授業となることが多いためだ。

特殊な言語すぎて
孤立する日本語

 日本人が長年英語が上達しない理由として、「日本語という言語構造の特異性」があるのも事実だ。日本語が極めて特殊な言語であるのは世界の言語学者も認めるところだ。

 挨拶程度の英会話や文章読解程度なら、問題はない日本人は多い。だが日本で育った日本人である限り、日本語のように体の芯にまで染みわたるような理解の感覚は、残念ながら、よほどの環境を続けない限り英語ではなかなか得られないだろう。それは、幼いころから英語圏で教育を受けた、真の意味でのバイリンガルの日本人でなければ分からない感覚だ。

 それは、英語がネイティブではない外国人であれば皆そうだと言われそうだが、日本人が英語を習得する難しさは、フランス人やスペイン人が英語を学ぶ難しさの比ではない。

 概観すると、インド・ヨーロッパ語族に分類される英語と、ほぼ孤立した言語である日本語は言語構造が対極にあるほど違う。