開いた本写真はイメージです Photo:PIXTA

ささいな言葉の行き違いで、SNS上ではしばしばトラブルが発生しているし、リアルでの対人コミュニケーションでも簡単に誤解が起きるもの。言語学者の筆者によれば、人と人との間で飛び交う言葉には、本来、複数の解釈があるのが当たり前なのだとか。ふだんの言葉遣いで気をつけるべき点を解説してもらった。※本稿は、川添 愛『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)の一部を抜粋・編集したものです。

混乱必至の「止められますか」
受け身、尊敬、可能、自発のどれ?

「意図している語義とは違う方」に取られるとやっかいな助動詞の代表格は、「(ら)れる」でしょう。たいていの辞書には、「(ら)れる」の語義として(1)受け身、(2)尊敬、(3)可能、(4)自発という、四つの意味が列挙されています。

 社会言語学者の井上史雄さんは、エッセイの中で次のようなエピソードを挙げています。

(前略)ある会社の部長が部下を乗せて車を運転していたところ、駐車場を見付けた部下が「部長、あそこに止められますか?」といいました。すると部長は「私の運転技術を疑うのか!」と怒ってしまった。部下にしてみれば「お止めになりますか?」という尊敬の意味でいったのに、部長には「止めることができるか?」に聞こえてしまったんです。(強調筆者)

 このエピソードの誤解の原因は、話し手が「尊敬」の意味で「(ら)れる」を使ったのに、聞き手は「可能」の意味に取ってしまったことにあります。「(ら)れる」に多くの意味があることを考えると、こういう取り違えが起こるのも仕方がないような気がします。この言葉の曖昧さを実感するため、次の例題を考えてみてください。

例題:次の各文の「(ら)れる」は、複数の解釈が可能です。(1)受け身、(2)尊敬、(3)可能、(4)自発の四つから、少なくとも二つずつ選んでみてください。

〈1〉山田先生は道行く人に駅の場所を尋ねられた。
〈2〉犯人がこの中にいると思われる。
〈3〉山田先生は初日の出を見られた。

〈1〉は、「受け身」と「尊敬」の解釈が可能です。受け身の場合は「道行く人が山田先生に駅の場所を尋ねた」と同じ意味になり、尊敬の場合は「山田先生は道行く人に駅の場所をお尋ねになった」と言い換えることができます。また、人によっては取りづらいかもしれませんが、「可能」の解釈もあります。その場合は、「山田先生は道行く人に駅の場所を尋ねることができた」と言い換えられます(↑ちなみに、この「られます」も「可能」の「られる」です)。

〈2〉は、「受け身」と「自発」の解釈が可能です。受け身の場合は「犯人がこの中にいると(誰かに)疑われてしまう」、自発の場合は「犯人がこの中にいると思うのが自然である」という意味になります。

〈3〉は「尊敬」と「可能」の解釈ができます。尊敬の場合は「山田先生は初日の出をご覧になった」、可能の場合は「山田先生は初日の出を見ることができた」と言い換えることができます。