以上のように、可能の「(ら)れる」は「~することができる」、尊敬の「(ら)れる」は「お~になる」などの尊敬表現に言い換えれば曖昧さが消えます。

 ちなみに「(ら)れる」が「られる」という形で出てくるのは、「見る」のような上一段活用の動詞、「止める」のような下一段活用の動詞、「来る」のようなカ行変格活用の動詞に付くときです。これに対し、「行く」のような五段活用の動詞、「する」のようなサ行変格活用の動詞に付くときは「れる」になります。ただし、可能の「(ら)れる」については、「来られる」を「来れる」、「見られる」を「見れる」などと言う場合があります。これがいわゆる「ら抜き言葉」です。

 ら抜き言葉は「言葉の乱れ」と言って嫌がる人もいるので、どういった場面で使うかは気をつけた方がよいでしょう。しかし、ら抜き言葉を使うことで、可能の意味がはっきりし、「られる」の曖昧さが軽減する効果があることは事実です。

 余談ですが、井上史雄さんは著書『日本語ウォッチング』(岩波新書)の中で、「筆者はラ抜きことばを使っていないつもりだった。(中略)ところが、同僚が研究データとして録画した自分の講義のビデオテープをあとで見たら、なんと自分でも使っていた。(中略)「見れる」とはっきり言っていて、すっかり自信をなくした」と書いておられました。専門家にとっても、「使わないようにする」のは難しいようです。ちなみに、私も日常では「ら抜き」をよく使っています。

「大丈夫です」は大丈夫ではない?
承諾なのか、断っているのか

 私たちの日常には、物事を遠回しに言う「婉曲的な言い方」がたくさんあります。しかしそれだけに、すれ違いも多いようです。次の会話例をご覧ください。

佐藤さん: 鈴木さん、なんか悩みがあるんだって? 私で良かったら、話聞くよ。こっちは明日の七時以降だったら空いてるけど、どう?

鈴木さん: (どうしよう。佐藤さんには相談したくないなあ。よし、断ろう)あ、大丈夫です。

佐藤さん:じゃあ、待ち合わせは駅前でいい?

鈴木さん:あの、大丈夫です。

佐藤さん:じゃ、明日7時に駅前で。

鈴木さん:(断ってるのに、なんで通じないんだろう……)

 皆さんにも、こういった「断ったつもりなのに通じない」という経験はないでしょうか。日本語の「大丈夫」には「それでOKです」という肯定の意味の他に、「そんなことをしてもらう必要はありません」と断りを入れる意味もあります。「大丈夫」はこういった正反対の意味を持つため、日本語を外国語として勉強している人々にとっては難しい表現だと言われています。