デザイン政策を「業界」から「社会」へ開く

──コロナ禍が重なったことも停滞の一因でしょうか。

 個人的な実感としては、むしろ「コロナ禍をチャンスとして生かし切れなかった」という方が近いです。コロナ禍の初期、街にはソーシャルディスタンスを促す表示や手作りのパーテーションがあふれ、リモートで働き、暮らすためのさまざまなアイデアが試されました。市民一人一人が試行錯誤や工夫を通じて難局を乗り越えようとしていました。これは、まさに「デザイン」です。

「『デザイン経営』宣言」では、デザインがイノベーションの実現につながることを強調しています。どんなに素晴らしい技術でも、それだけでは社会に実装することはできません。受け手側に寄り添い、使いやすい形で人に届けるデザインがあって初めてイノベーションが実現するのです。コロナ禍においては、デザイナーに限らず多くの人が無意識にデザインに取り組んでいましたが、デザイン業界を挙げて「これがデザインだ」という力強い発信ができませんでした。この背景には業界構造の問題もあると考えています。専門のデザイン領域ごとのコミュニティーはありますが、領域間の連携は少ない。包括的な意味での「デザイン業界」が存在しないのです。

──デザインへの投資を活性化するために、今後どのようなデザイン政策が必要でしょうか。

 業界の連携を強める取り組みを始めています。同時に力を入れなければならないのは、受け手側の意識醸成です。国のデザイン政策は、①人、②お金、③啓発、④行政での実践、⑤知財(知的財産権)、⑥調査研究の6つのアプローチで取り組んできました。今後もこのフレームは大きく変わることはないと考えていますが、対象の射程をデザイン業界だけでなく、一般的なビジネス活動や地域課題の解決の領域へ大きく開いていこうとしています。

 デザイン政策の歴史をひもとくと、1928(昭和3)年に国立のデザイン研究・教育機関として「工芸指導所」を仙台市に設置したことを出発点として、かれこれ100年ぐらいの蓄積があります。61年には当時の通産省が「デザイン奨励審議会答申」という政策提言を行っています。この内容が「『デザイン経営』宣言」とそっくりなのです。半世紀以上も後に、なぜ同じような提言を出さなくてはいけなかったのか。この間、社会全体のデザインに対する理解を深め切れなかったという事実を真摯に受け止めなければいけません。

「社会のデザインリテラシーを高める」ため、圧倒的マジョリティーである「デザイナー以外の人」に向けて「教養としてのデザイン教育」を充実させることが、デザイン政策を一歩先に進めるための鍵になると思います。

「『デザイン経営』宣言」は広がったのか?国家戦略としてのデザイン政策の現在地

──「教養としてのデザイン教育」ですか。

 これまでも、海外のデザイン先進国のように「国を代表するデザインミュージアムが必要」とか「義務教育にデザインを組み込むべき」といった議論は繰り返されてきました。ただ、改めて調査すると、企業ミュージアムは日本全国にあるし、公共の美術館や博物館にも先人が手掛けたデザイン資源が多数収蔵されています。タッチポイントの豊富さに着目すると、日本は十分にデザイン先進国なのです。

 今の義務教育でも、図画工作や家庭科はもちろん、国語や道徳といった科目にもデザインの要素がたくさん含まれています。大きな箱や新しいカリキュラムをわざわざ作るより、今あるフレームにデザイン教育という新たな意味付けをすることが重要だと思っています。デザイン政策室でも、2023年の夏休みに子ども向けの「デザイン発想ワークショップ」を開催しました。小さな試みですが、「デザインって面白い」と実感する人が1人でも増えれば未来は変わります。こうして土壌を耕し続けていけば、デザイン業界側が四苦八苦してデザインの役割や効果を説明せずとも、すんなり受け入れられるようになるのではないでしょうか。