デザインと経営をつなぐ多様な「ハブ」を生み出す

「『デザイン経営』宣言」は広がったのか?国家戦略としてのデザイン政策の現在地HIROSHI HARAKAWA
1987年東京都生まれ。民間企業を経て2012年に経済産業省特許庁入庁。意匠審査官として産業機器や民生機器、内装等の意匠審査等を担当し、21年7月から現職。100年以上にわたる日本国のデザイン政策の変遷や世界各国におけるデザイン政策の調査研究等を担当。現在は、数少ない美大卒官僚として、デザインや意匠審査官の知見・経験を生かし、これからのデザイン政策を考える研究会を主宰。東北芸術工科大学プロダクトデザイン学科卒。

──冒頭に二極化の話がありました。デザイン経営がうまくいっていない企業で、経営層とデザイナーの相互理解を深めるためのアドバイスはありますか。

 企業の中では、美大出身というだけで「ちょっと変わった人」「ビジネスの話が通じない人」と捉えられてしまうことが実際あると思います。ただ、われわれのような行政機関でも、特にデザインを専門的に学んだわけではないのに、積極的にデザインに対して興味を示してくれる職員がいます。こういう「デザイナーではないけどデザインのファン」は、民間企業にはもっと多いはずです。個人的には、そういう人たちにハブになってもらって、デザイナーと他部署を取り持つ翻訳者になってもらうのがいいと思います。

──デザインに興味はあっても、デザインについて自信を持って語れるビジネスパーソンは少ないのではないでしょうか。

 私も自信があるかと言われたらそうではありません。ただデザインが好きでその可能性を信じています。デザインが面白いのは、いつまでも究極の完成形に達しない「終わりなき営み」であることです。ある時点で最善のアウトプットも、新しい技術や素材が生まれると改良の余地が増えていく。多様な立場の人が参加し、「今、私はこう思う」と意見やアイデアを表明し、それを基にプロトタイピングを繰り返し、常に前向きに目標に近づいていこうとするのがデザインです。むしろ自信はない、本音は不安だけれど、仲間と諦めずに取り組み続けること、失敗も寄り道も面白がって次につなげていくこと、それがデザインプロセスに関わるということです。

──確かにそうですが、デザインは専門性が高い領域という認識があり、その議論に入る手前に壁があるように思います。

 そこは、デザイナー側の努力が重要だと考えています。どんな人のどんな発言でも否定されない心理的安全性が担保された環境をつくる責務があると考えています。専門性の壁があるのは経理でもマーケティングでも同じです。デザインに壁を感じる人が、デザイン以外の領域でどのように対話の土台をつくられているのかが気になります。

──ビジネス側の専門領域については、本などから得た知識を経験と照らし合わせながら自分の言葉で語ることができますが、デザインに関しては知識では理解できないものという認識が強く、それが難しいのではないでしょうか。

 確かに、本などからデザインの知識を得ることもできますが、デザインは体験や経験から直感的に学ぶことの方が多いかもしれません。ここにも、デザイン業界とそれ以外の間を取り持つ媒介や、教養としてのデザイン教育の不足を感じます。

 そういう意味では、学んで身に付けることができるデザインの中身をデザイン業界側が丁寧に説明することも大事ですね。23年に開催した「これからのデザイン政策を考える研究会」では、デザイン活動の全体像を「名詞としてのデザイン/動詞としてのデザイン/態度としてのデザイン」の三つのレイヤーで整理しました。プロダクトやサービスを高精度で作り込むフィニッシュワークが「名詞としてのデザイン」だとすると、その土台には、仮説を立てたり、観察したり、試作したりといった「動詞としてのデザイン」があり、とっぴなアイデアを面白がるといった「態度としてのデザイン」もある。後者二つはプロのデザイナーでなくても身に付けられますし、これらも含めてデザインであるという理解を広げられればと思います。

※原川氏の肩書は取材当時のものです。