片山前社長時代に
提携戦略を一気に加速
いすゞは、かつて「自動車御三家」の一つとして数えられた名門であり、乗用車からトラック・バス事業まで幅広く手掛けていた。1971年には自動車資本自由化の波の中で、米ゼネラル・モーターズ(GM)と資本提携し、GMグループ入りしている。93年には乗用車から撤退し、商用車メーカーとして専念した。
2000年代に入りGMの業績が悪化したことで、長年続いたGMとの資本提携が06年に解消。GMに代わる連携相手として同年にトヨタ自動車と資本提携したが、資本提携の成果は薄く18年には資本提携を解消するなど経営が迷走した時期もある。
だが、片山前社長の体制下で、ボルボ・グループと19年に戦略提携の覚書を締結後、21年にUDトラックスを子会社化したほか、20年にはホンダと燃料電池の大型トラックの共同開発、21年にトヨタと再度の資本提携を行うなど、一気にコラボ戦略を進めて独自のポジションを固めてきた。前中期経営計画期間では、資材高騰やコロナ禍など事業環境が激変する逆風下にあっても事業規模を拡大し、グローバル商用車リーディングメーカーの土台を築いてきた。
そうしている間に、今度はライバルの日野自動車がエンジン不正問題で“自滅”した。いすゞは22年の国内普通トラック(大型・中型)市場で10年ぶりに日野自を抜いて首位となり、23年も首位となった。
国内小型トラック市場ではもともとトップを続けてきたが、国内トラックメーカーとして両カテゴリーでトップを堅持している。さらに、アジアではタイ市場でピックアップトラックの乗用タイプで高い販売シェアと収益力を築いているほか、北米の中型トラックでも強く、こうした基盤により、同社の営業利益率は23年3月期でも約8%と高い水準を誇っている。