村井純と孫正義が同時期に在籍した
UCバークレーの偉大さ

井上 1970年代の終わりに、コンピューター・ネットワーク開発の分野で、世界の中心と目されていたのがカリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)でした。孫さんもここで学んでいました。

村井 77年から83年まで、僕もバークレーの連中とUNIXというオペレーティングシステム(OS)の研究に没頭していました。バークレーではUNIXの研究がさかんで、かつて世界的な影響力を誇ったアメリカの通信研究所であるベル研究所のデニス・リッチー(プログラミング言語の一つであるC言語の開発者)と共にUNIX開発者として知られるケン・トンプソンがバークレーに教えに来ていました。その講義を、ビル・ジョイ(サン・マイクロシステムズ共同創業者)のグループが聴講していました。

 当時のバークレーにはビルのグループやCSRG(コンピューター・システムズ・リサーチ・グループ)のメンバーやエリック・シュミット(グーグル元会長兼CEO)などもいました。さらにバークレーに行けば、近所のスタンフォード大学のアンディ・ベクトルシャイム(サン・マイクロシステムズ共同創業者)などもいて、重要な人間にはだいたい会える環境でした。逆に言うと、この時期にバークレーで知り合ったやつらが、その後のインターネット、ITの世界をつくっていったんだよね。

井上 孫さんがUCバークレーに編入学したのが1977年、卒業が80年ですから、ほぼ同時期にバークレーの空気を吸っていたことになりますね。

村井純氏村井純氏 Photo by Motoyuki Ishibashi

村井 バークレーでは孫さんに会った記憶はないですね。ただ、間違いなく、特にあの時代にUCバークレーに身を置いたことは、僕の人生にとって重要な分岐点だったと思っています。

 僕は、CSRGという名前の集まりに所属してOSの研究に没頭していました。ここの人たちは、コンピューターのお腹の中をいじっている悪いやつというイメージ。そして、アプリとかコンピューター言語とかをやってるやつは気取った嫌なやつと言う感じ。僕らからすると、アプリとか言語とか上の方は勝手にやってりゃいいよと言いながら、24時間、汚れながら研究して朝5時に開くドーナツ屋で空腹を満たすみたいなことをしてましたね。

井上 当事者は、新しい時代の到来を感じてわくわくしていたんでしょうね。

村井 楽しかったですよ。エリックオールマン(Sendmailの開発者)がバークレーに持っていた大きな家と研究室がタコ部屋のようになっていて、名前を挙げた全員とそこで仲良くなりました。

井上 孫さんは後に「僕の人生をつくったのはバークレーだ」と語っています。

村井 僕もまったく同感です。