中学受験で強制ガリ勉、教科書で殴られ突発性難聴に…「毒親の所有物」扱いされた子どもの不幸写真はイメージです Photo:PIXTA

共働き家庭の一般化や、少子化が進んだ昨今。子どもに無関心過ぎる親、過放任な親、過保護・過干渉な親が散見される一方、下の子や老親の世話、手伝いの範疇を超えた家事労働を強要する親が目につく。こうしたケースの中には、親の意識の有無に関わらず、「子どもは親の所有物」と勘違いしている場合もある。「あなたは子どもの子どもたる時間や居場所を奪っていませんか」今回は、関東在住の大森英美さん(仮名・20代)の実体験をお届けします。(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木瑞穂)

父親からの精神的・経済的DVと
「泣くのを許さない」母親

 関東在住で語学教室を運営し、自らも語学教師として働いている大森英美さん(仮名・20代・バツイチ)は、25歳頃から両親と距離を置いている。その理由は、両親に所有物扱いされていたことに気付いたからだ。

 大森さんの父親は大学の教員。母親は結婚前、大学の研究室のアシスタントをしていた。

 両親の出会いはお見合いだった。父親はこれまでもお見合いを受けては断られて31歳になっていたが、24歳の母親は「初めてのお見合いで大学教員と出会えるなんて玉の輿だ!」と大喜び。すぐに結婚が決まった。

 母親が29歳の時に大森さんを出産したが、後に父親は、「子どもは好きじゃなかったが、お母さんにせがまれて仕方なかった」と話し、母親は「自分の両親と姉から褒められるために産んだ」と大森さんに言った。

「父は、今で言うところのモラハラの上に、人の気持ちが理解できないタイプでした。経済的DVや精神的DVもすごくて、『何もしないやつはクソ製造機』『誰のおかげで生活できるのか』『殴っていないからDVじゃない』とよく主張していました。そういうところを見抜かれて、お見合いに連敗していたのでしょう。それでも仕事はでき、外面は良かったので、親戚や学校の先生に父のことを相談しても、誰にも信じてもらえませんでした」

 母親は結婚を機に仕事を辞め、専業主婦になっていたが、毎月父親が入れる生活費は3万円だけ。これで食費や光熱費、その他日用品などを賄うよう言われていた。

 母親には大好きな子ども服ブランドがあり、幼い頃から大森さんはそのブランドの服の古着を着せられた。大森さんが小学校に上がると、リコーダーや習字セット、ランドセルさえも買ってもらえず、洋服も近所の中学生のおさがりだった。

「母は常に自分が中心にいないと気が済まないタイプです。母は私が泣くと、『うっとうしいから人がいる時には泣かずに笑え!』と言うので、どうしても泣きたい時は、お風呂場に行って一人で泣きました」