野球記者の誰も知らないような老人が、突然、阪神タイガースの監督に抜擢されたことがある。タイガースの絶対的功労者・松木謙治郎監督の後任は、同郷でアマチュア時代に交流があったとはいえ、なんとプロ野球未経験者。1955年シーズンが始まるや、ライバル球団の巨人戦9連敗が響き、わずか33試合で辞任して姿を消した。球界の最長老・広岡達朗の証言も受け、第8代監督・岸一郎の生涯をたどる。本稿は、村瀬秀信『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。

伝統の一戦を選手として戦った
広岡達朗が「岸監督」を高評価

「岸一郎さん……もちろん、知っていますよ」

 まもなく90歳になろうという広岡達朗からは思わぬ明朗な返事が返ってきた。お元気である。監督時代、肉食から玄米食に改めさせるなど食生活の改善から、明確な野球理論のもと選手を指導教育していった指揮官は、今もなお、野球界のご意見番として舌鋒鋭い提言を発信し続けている。

「畑をやっとっただけ」の老人が、突然タイガースの監督に…親族が明かした晩年とは?

 だがおそらく。広岡にとって岸一郎はライバルチームのタイガース監督という前に、早稲田大学の38級上の大先輩であるのだろう。その評価はどこか遠慮があるように思えた。

「岸さんは監督としては目立ちませんが、当たり前のことを当たり前にやれる監督ですよ。タイプとしてはピッチャー出身なだけに投手陣の育成に力を注いでいましたね。私ども巨人軍は岸さんと試合もやらせてもらいましたが、地道に指揮を執られていたという印象です」

 岸が敵軍の監督だった1955年、広岡は大学卒業2年目の巨人軍新進気鋭のショートだった。

 そんな彼が監督としての岸に致命傷を負わせた巨人戦での9連敗について、当時の『ベースボールマガジン』6月号で行われた両チーム選手による3対3の座談会に参加している。

 あまりにも一方的な巨人の大勝に終わってしまったからだろうか。エース大友工が「打線は巨人より阪神の方が怖い」と言えば、ベテラン千葉茂も「阪神も去年よりずっと迫力がついた」と続いて同調する。

 巨人の選手たちはタイガースをどう思っていたのだろうか。ほぼ70年後の広岡が答える。

「私も実際にまだ2年目ではありましたけど、巨人というのは勝つことが当たり前。選手権に出て当たり前。監督は水原茂。だけど監督が目立つこともない。川上、千葉、選手みんながそう。ただ勝つことにだけ向かう、巨人の野球を理解していますからね。それが巨人ですよ……ねぇ。今の巨人を見てごらんなさいよ。負けるのが当たり前になっているじゃないか。選手権に2年連続で出てもソフトバンクに1回も勝てないのが当たり前。どうなってんだって。おかしいよ!」