岸一郎はいつまで生きていたのか
タイガース初優勝を見届けたのか?

「まぁ、わしらも気ぃ遣うとったしな。向こうじゃ散々に悪いこと言われたり、書かれとったらしいやないか。それでも一郎からは愚痴のひとつも聞いたことがない。愛情があったんと違うかな。藤村富美男に対しても、まぁ、そりゃあバリバリのスター選手と年取ったじいさんの一郎とじゃ、うまいこといくわけないやろ。全盛期の藤村になんか言われたとしても、言い返せるわけがない。一郎がやってきたような古くさい昔の野球と、タイガースの野球、そら全然違うもん」

 ちなみに卓志さんも和徳さんも大の虎党である。身内がタイガースの監督、しかも藤村富美男とやり合ったのち、チームから追いやられた立場というのは複雑な心境だろう。

「手紙送って採用されたことも知らん。畑をやっとっただけのじいさんが、ある日突然、『タイガースの監督になる』って大阪に行ってしもうた。そりゃ親戚は驚いたわな。でも敦賀じゃ一郎どうこうより『松木さんが引っ張ったんやろなぁ』って、みんな思っとるからたいした騒ぎにならん。一郎が監督になってからは、わしらも会社のもん連れ立って甲子園に見に行かせてもらったわ」

 卓志さんは岸一郎が監督になれた理由を、今の今でも「松木さんのおかげ」だと思っている。そして当時の敦賀の人たちにとってもまた、無名の岸がタイガースの監督になったというよりも「松木さんが敦賀の人を監督にした」という認識のほうが強かったようだ。

 やがて瞬きする間もなく一郎はタイガース監督の座を追われた。敦賀に帰ってきてからは一郎自身も親族も、周囲の誰もがタイガースのことは一言も話題を出さずに、タイガースとは無縁の余生を過ごしたという。

 ひとつ気にかかった。岸一郎はいつまで生きていたのだろうか。栄光を目指して戦った吉田義男や小山正明や三宅秀史ら若い選手たちのその後の活躍をどこまで見ていたのだろう。岸が去った7年後の1962年。タイガースはセ・リーグ初制覇を成し遂げている。それは、岸一郎が目指した“投手を中心とした守り勝つ野球”での優勝でもあった。この栄光の瞬間を、岸一郎は見届けることができたのだろうか。