「ああ、そうです。一郎は私の伯父ですわ。もう潰してしまいよったが、そこの大きな樫の木のところに一郎の家があった。一郎には3人子供がおってな。一郎は長く外地におったやろ。満洲から敦賀に帰ってきてから、田んぼやるいうから、中学生のわしが教えようとしたんやけど、あんまやらんかったな。時折ぷらーっとどこぞの学校に野球のコーチや監督をしに行ってな。そうこうしているうちに、タイガースの監督になるいうて大阪へ行ってしもうた。あれだって、仲良しの松木さんが引っ張ってくれたおかげやで。藤村富美男さんにこてんぱんにされてすぐに辞めさせられたあと、しばらくして敦賀に帰ってきたけどな」

 史実とは真逆、あるいはマユツバな証言はともかく、岸一郎はタイガースの監督を辞めたあともしばらく大阪にいて、のちに敦賀へと帰ってきたようだ。

「ぼくは一郎さんをタイガースに引っ張ったのかはよぉわからんですけど、昔、松木さんが学校に講演に来てくれたことがあって、最後に手を挙げて質問しようと思っとったんです。『岸一郎をご存じですか?ぼくの大伯父さんなんです』って。ギリギリまでやる気だったんですけど、最後になんだかとてつもなくイヤな予感がして結局質問しなかったなぁ。あそこで聞いていれば何かわかったかもね」

 そう言うのは卓志さんの車いすを支える息子の和徳さん。惜しい。そこで質問していたらどんな返事が返ってきたか。ただ、危機察知能力としては「質問しない」という判断は、おそらく正しかった。

 卓志さんが何かを思い出したように語り出す。

「そうや。タイガース辞めて敦賀に帰ってきてから一郎はなんにもしなかったんやないかな。ただ、ひと月に一回ぐらい『阪神に行ってくる』と言ってどこかへ出かけて行っとった。一郎はタイガースの役員をやっとるなんて言うとったけど『本当は競馬場の方の阪神やないか』ってみんな噂しとったんや」

 タイガースで負った傷があまりに深かったのか。敦賀に帰って以降の岸一郎から野球の話は聞いたことがないという。