今年3月、劇的な試合展開を何度も見せた末にWBCで優勝し、日本中を熱狂させた栗山英樹元監督。その成功者ぶりは誰もが認めるところではあるが、侍ジャパン監督のオファーを受けた際の彼は、座っていた椅子をひっくり返さんばかりに驚きとまどったという。監督を引き受けた後の彼の心の動きは、大役を任されたビジネスマンたちにも、通じるところがきっと大きいはずだ。本稿は、栗山英樹著『栗山ノート2 世界一への軌跡』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
侍ジャパンの監督オファーを受けた栗山が
とまどいながらも決断した理由とは
「次の侍ジャパンの監督になってくれませんか?」
大げさではなく、椅子から転げ落ちそうになりました。WBCの監督は、第1回が王貞治さん、第2回が原辰徳さん、第3回が山本浩二さん、第4回が小久保裕紀さんです。日本球界に偉大な足跡を印した方々ばかりです。
その方々と同じポストに就く。自分ではない、という感覚しかありません。私は脊髄反射的に答えました。
「断ることはできますか?」
先方からは「時間をかけて考えてほしい。もし本当に断るのなら、絶対に他言はしないでほしい」と言われました。誰かに漏らすような種類の話ではないので、「もちろんそのようにします」と答えて、その日は別れました。
ファイターズの監督をやってきて、どんな手を打ってもなかなかチームが好転しない、という時期を経験しました。チームには短期で変えられるものと時間が必要なものがあり、自分なりにそういったものが整理されていました。
監督業の本当の難しさに気づかされていたことは、自分にとって本当に貴重な経験となっています。ただ、それが代表監督を受諾する理由にはなりません。日本球界には適任者がたくさんいる。そんな思いに駆られていました。
やはりお断りするべきだろう、との考えが固まっていくなかで、ある言葉が私の胸を叩きます。
「できるか、できないかは関係ない。やるか、やらないかだけが大切なんだ!」
私自身が大切にしてきた行動規範で、ファイターズの選手やスタッフにもそう伝えてきました。
侍ジャパンの監督は自分にふさわしくないと考える私は、心のどこかで「自分にはできない」と決めつけています。それではいけない。私をこれまで育ててくれた野球に、日本の野球界に、己のすべてを尽くす好機をいただいたのだ。「断ることなどできるはずがない」との気持ちへ傾いていき、「尽己」の二文字が頭に浮かびました。
幕末期の儒家・陽明学者にして備中松山藩士の山田方谷は、「何が起ころうとも目の前の物事にすべてを尽くす、自分のできることをやり切る」という意味で「尽己」という言葉を知己に送ったと言われています。
侍ジャパンの監督という立場は、私の能力では務まらないかもしれません。けれど、WBCという未知なる舞台は、眩しく輝いています。
それまで見たことのない景色は、いったいどんなものだろう。見てみたい。触れてみたい。野球人としてというよりも、ひとりの人間としての原初的な欲求にかき立てられて、私の気持ちは固まりました。私利私欲と私心を捨て、天命に生きるべきと諭した『論語』の「命を知らざれば、以て君子為ることなし」の教えも、私を衝き動かしてくれました。