タイガースのことを聞いても、いつの間にか巨人に対する愛情と、情けないという憤慨を少しもオブラートに包み隠さず直言してしまう。これもまた愛情表現。これぞ広岡達朗。今なお舌鋒衰えず。

「それで……岸さんにはプロ野球経験がないからと藤村富美男らに虐げられたとね。冗談じゃないですよ。私が早稲田大学の頃は、石井藤吉郎や荒川宗一、宮原実に末吉俊信という諸先輩方から『プロ野球は堕落しているから行くな』と逆に言われたもんです。当時は大学野球の方が格式が上。しかも早稲田の先輩の言うことなんて絶対ですよ。それでも私は志を持って巨人へ進んだ。早稲田から蔭山和夫さんが行かれて、立教から長嶋茂雄や本屋敷錦吾が行って、そうしてプロ野球が徐々によくなっていったんです。でもそれっきり。今のプロ野球はあの時、先輩らが言った通り堕落しきっているじゃないか。ぼくらの頃の監督ってのは負けたら責任を取って辞めたんです!岸さんは負けた結果として辞めてるじゃないの。これは男気があるということ。今の原なんか選手権でいくら負けても責任なんか取りゃしない。そりゃそうだ。何億ともらっているからね!辞めるわけないですよ!」

(注:取材時、原辰徳氏は巨人の監督辞任前)

消えた老人監督を捜して
故郷の敦賀で出会った新事実

 敦賀の町は今日も灰色に沈んでいた。

 港の北東部には、火力発電所とセメント工場という巨大すぎて命の気配が希薄な一帯があり、その先を抜けると福井市へ向かう海沿いの国道8号線だ。

 港のすぐ横にある小高い山が金ヶ崎城跡だ。戦国時代、朝倉義景を攻めにこの地まで来た織田信長が浅井長政の裏切りを知り総崩れとなった「金ヶ崎の退のき口」と呼ばれる史上名高い撤退戦。殿しんがりを務めた木下藤吉郎は、この戦いで見事信長を守り切ると、のちに羽柴秀吉となって天下を治める関白となるのだ。

 撤退戦。岸一郎が敦賀へと引き揚げてきたそれは、野球人としての尊厳も過去の栄光もボロボロにされただけの空しいものだった。

 小さな脇道をくぐり抜けるように集落を進むと、突如ひらけた一角に広大な雑木林と、大きな樫の木がまるで屋根を作るように天へと広がる空き地が見えた。その向かいにある離れの一軒家が卓志さんの住む家だ。今は体調がよくなく、ほとんどの日は一日中寝ているというが、息子さんに付き添われて玄関先まで出てきてくれた。