「変えられるもの」と「変えられないもの」

 当時の川崎工場の事務所には、大勢の部長がいました。そんななかで、製造部長である上司に説教されて泣いている、まるで未熟な子どものようにまわりからは見えている情けない自分が、そこにいます。涙を止めたくて、恥ずかしくていたたまれなくなりましたが、そんな気持ちに反して悔し涙も嗚咽も止まりませんでした。

 会社人生で泣いたのは、このときだけです。「とても理解のない部長」と一瞬恨みましたが、実はとんでもない誤解でした。製造部長である上司は、私の心理の裏の裏まで見ていたのです。そのときに言われたことは、「本当に仕事のできる課長は暇になるんだよ。あんたは忙しく振舞っているが、実は本当の仕事をしていない」。

 頭ではわからないことはないのですが、やはりどこかで、「それは自分の責任じゃない」「工場長が補修費を半分にしたせいだ」「歴代の課長が、現場の自動化をきちんとやらず、人を減らし、教育も十分でない若手ばかりを製造現場に配属したから」だと思っていたのです。

 その後、製造部長からはいろいろなフォローを受けました。なかでも、推薦してくれた中村天風の『運命を拓く』(講談社・1996年)を読んだときには、心が洗われる思いでした。本書ですべてを解説するわけにはいきませんが、あえて一文で簡略化してご紹介すると、「運命は、努力によって変えられる(拓ける)。変えられないものは天命である」ということです。

 運命を拓くとは、「どんなに問題の多い職場でも、自分(自分たち)の力で絶対によくできる、それが運命であり、変えられる」ということなのです。

 一方、天命は変えられません。そのとき、私が気がついたのは、「過去は変えられないから、過去は天命に違いない」ということです。この天命である過去から目を逸らし、先人のせいにして、過去の責任を引き受けていなかった私は、天命を受け入れていなかったことになります。過去を天命として受け入れ、引き受け、それをよくすることこそが私の運命だと思えたのです。