「問題職場」に見られる共通点

 夜中には、自宅のFAXが音を立てていました。私がトラブルは夜中でも報告するようにと言ったからです。ある日曜日には、ゴルフ場の入り口に、立て看板があり、「味の素の福士さん、職場に至急お電話ください」と書いてありました。

 雨が降ると、農作業のように、道路の側溝にある穴に私はゴム栓をして、その雨水が一気に排水処理場に流れないようにしました。場内アナウンスで雨の度にゴム栓の指示が放送されるのです。

 また、我がアミノ酸製造課がトラブルで製造工程の液を流出させる度に、次のようなアナウンスが流れました。「アミノ製造課のトラブルで排水処理工程の能力が不足したので、全工場のオペレーションを停止します」。その度に私の心は凍りつきました。当然ながら、工場内のほかの職場からは、冷たい視線を浴びますし、管轄のアミノ酸事業部からは強いクレームが出されます。

 本当に、心から「こんなことになるなら、いくら尊敬する上司のところとはいえ、こんなところに来るべきではなかった」と考え込んでしまいました。ただ、アメリカ帰りの自分はそう感じていたのですが、製造現場のオペレーターは、もっと嫌な思いをしていました。製造現場は、3交代で24時間動いているのですが、製造現場の課員のほぼ全員が3交代の引き継ぎが嫌で嫌でたまらないというのです。

 引き継ぐときに、なにが起こっているのか予想もつかない。引き継ぎが正確でないので、きちんと対応できない。それもそのはずです。当時は、コスト削減のために、補修費半分、自動化は半端でマニュアル操作、しかも、コストカットで製造現場の人を半分にして、生産量を倍にするような無茶苦茶な方針で運営されていました。根性論と言えばそれまででしょうが、根性論、精神論を超えて、たとえるなら、「竹やりで戦えと言うのか?」みたいな大きな疑問が、製造現場に染みついていたのでした。

 このような「問題職場」には、誰にも明確な責任意識がないのです。すべてが他人、過去の責任、全員が被害者です。

 そんな状況が続くなか、あるとき、上司の部長に呼ばれました。なにかと思ったらいきなりお説教です。「お前は期待されている人財だが、まったく期待に応えられていない」。私は、我が耳を疑いました。「私だって今がいいとは思っていない、しかも改善の計画をすでに立てて、実行しつつある。今のトラブルは私の責任ではない。明らかに過去のツケだ」そう思う私がいました。

 ですから、心のなかにたまっていたあらゆる反論をその部長にしました。しかし、一向にわかってくれません。私は、自分のことよりも製造現場、特に未来を背負う若手が気になってしかたありませんでした。この人たちのために、もっとお金を使って、もっとやり方を変えて……といろいろなことを部長に言いましたが、一向に通じません、いつしか、私の目には大きな涙の粒がながれ、やがて大きな嗚咽になってしまいました。