思い出すたびに書き換えられる
記憶は脳の創作物なのか

 そもそも、私たちの記憶は、スマホのカメラのように見たもの聞いたものをそのまま覚えているわけではありません。それを覚えた時の状況や体の状態、周辺の知識や、そこから連想される無関係のものまで一緒に記憶されます。ひとたび年号を思い出せば、関連する武将の名前やその武将について書いた小説家の名前、それを読んだ時の感想などを連鎖的に思い出します。

 これは当たり前のようで、メモリの本来の役割としてはとんでもない不具合だと思いませんか。

 もし、人工知能に坂本龍馬の命日はいつ?と質問した時に「私が初めて司馬遼太郎の小説と出会ったのは、忘れもしない14歳の夏……」などと始まったら、困ってしまいますよね。でも実際、そういう人は身の回りに大勢いますよね。あるいは自分自身もそうかもしれません。人生経験を多く積んでいて、語りたい記憶が多い証です。

 エピソード記憶について言えば、過去の自分を思い出す時、多くは自分の姿も含めた視点で記憶していたりしませんか?そんな記憶なんてどこにもないはずですよね。

 さらに面白いことに、記憶はそれを覚える際だけでなく、思い出す時にもう一度書き換えられるとも言われています。前回それを思い出した時のことまで、もう一度付け加えて記憶します。悲しいことに記憶は、思い出すたびにどんどんオリジナルなものではなくなってしまうのです。

 忘れたくない甘い記憶は、なるべく思い出さないようにした方がいいのかもしれません。しかし、あまりにも思い出されない記憶は、必要のないものとして忘却の彼方に消えていってしまいます。

 以上のことを併せて考えると、記憶は思い出すたびに1から作られていると言ってもよいくらいで、いわば脳の創作物と言っても過言ではないでしょう。全ての記憶は誤っているという主張もあるほどです。

 私たちの脳では、この脆くも儚い記憶と経験に基づいて2つ目のフィルターである予測モデルを形成しています。

 これと感覚器からの実測値を照らして、次の予測を生み出したり、予測モデルを書き換えたりしているわけですが、そもそも依拠している記憶が危ういので、私たちは誤認識したり、勘違いをしたりして容易に判断を誤ってしまうわけです。まあそれも無理もないか、という気持ちになりますね。