ルイ・ヴィトンのパリ本社に17年間勤務しPRトップをつとめ、「もっともパリジェンヌな日本人」と業界内外で称された藤原淳氏が、パリ生活で出会った多くのパリジェンヌの実例をもとに、「自分らしさ」を貫く生き方を提案したのが、著書『パリジェンヌはすっぴんがお好き』。著者が言うパリジェンヌとは、「すっぴん=ありのままの自分」をさらけ出し、人生イロイロあっても肩で風を切って生きている人のこと。今回は著者の藤原淳氏に、本書を書こうと思ったきっかけ、読者に伝えたいメッセージなどを聞いた。(構成/編集部)
――『パリジェンヌはすっぴんがお好き』の出版おめでとうございます。なぜ今回の本を書こうと思われたのですか?
藤原淳(以下、藤原):ありがとうございます!
私は20年以上パリに住んでおりますが、今回この本を書きたい、そして日本で出版したいと思ったのは、是非とも伝えたいメッセージがあったからです。
そのメッセージとは「一切取り繕わず、すっぴん=ありのままの自分をさらけ出す。これだけで気持ちが吹っ切れ、世間の目が気にならなくなる」というものです。自分は自分、と割り切ることができるようになると、とてもラクになります。そうすることによって少しずつ、自分なりの生き方を貫くことができるようになります。
このメッセージは「社会人だから」いろいろ折り合いをつけながらある時は器用に、またある時は不器用に生きている人。「お母さんだから」、あるいは「嫁だから」いろいろ我慢をしながら生きている人。「自分なんか」と縮こまり、窮屈な思いをして生きている多くの現代人に向けられたものです。
――そうなんですね。「ありのままの自分をさらけ出して」、そして「自分は自分と割り切って」もよい、と思われたきっかけは何だったのですか?
藤原:私は長年、人目ばかり気にして生きてきました。「自分がこうありたい」、あるいは「こうしたい」という意志よりは、「こうあるべき姿」、「こうするべきこと」に囚われていました。囚われている、という自覚があったわけではないのですが、なんだかモヤモヤした感情を抱えながら日々の生活を送っていました。「こう思われたらどうしよう」ということばかり気にしていました。
私がルイ・ヴィトンに勤務するようになったのはそんな時です。天下のルイ・ヴィトンのパリ本社です。周りは泣く子も黙る、個性の強いパリジェンヌばかりです。私は異国人ですから、最初はとにかく周りに溶け込む努力をしていました。「こう思われたらどうしよう」の嵐です。
それが無駄な努力だと教えてくれたのは、他でもない、パリジェンヌ達です。仕事を通じて知り合った上司や同僚、そして近所のマダムやママ友です。先ほどパリジェンヌは「個性が強い」と申しましたが、なぜそのように見えるのかというと、一切取り繕わず、ありのままの自分をさらけ出しているからです。言い方を変えれば、人にどう思われようが全くお構いなしなのです。私のように周りに同調しようとはせず、自分を押し殺すこともなく、自分は自分、人は人と割り切っているのです。その肩の力が抜けた生き様はなんとも爽快で、見ていてとても気持ちがよいものでした!
いろいろしがらみを抱えながら生きてきた私も、次第に「もっとラクにしてよいのだ!」と思えるようになりました。自分さえその気になれば、私にもそのような生き方をすることができるということが分かったのです。ありのままの自分を丸ごと受け止め、臆さずにさらけ出す勇気が少しずつ出てきたのです。数年後、私は「もっともパリジェンヌな日本人」と呼ばれるようになっていました。
つまり私のようにフランス人ではなくとも、どこで生まれ育っていようと、パリジェンヌらしく生きることはできるのです。
――「パリジェンヌらしく生きる」というのは、フランスという国の土壌があってこそ可能で、日本という社会秩序や文化背景のある国では難しいとは思いませんか?
藤原:単刀直入に申し上げます。全く思いません。我々が感じている「生きづらさ」を国の、あるいは社会のせいにするのは簡単なことです。「世間が変わらない限り、パリジェンヌのように自分を優先させて生きていくのはムリ」、と思われる方がいたら、敢えて断言します。
誰にでも、どこにいても、自分らしい生き方を貫くことはできます。なぜなら、世間体というものは自分で背負ってしまっていることが多いからです。
例えば、俗に「同調圧力」と言いますが、実際に何か言われる前に自分から周りに合わせてしまっていることが多いような気がしませんか。「この歳でこれは恥ずかしい」とか、「何歳までに結婚しなくては」などと言う発想です。例の「こう思われたらどうしよう」病です。
大多数に合わせるという安心感があるため、自分の「こうありたい」、「こうしたい」という気持ちをどこかに押しやってしまうのです。そのため、結果的にイヤイヤお付き合いをしたり、「人気のある」アイテムばかり買ってしまったりするのです。
では、どうすれば「こう思われたらどうしよう」病から解放されるのでしょうか。フランスにも、他人のことをとやかく言う人は幾らでもいます。自分の判断基準を押し付けてくる人だってたくさんいます。簡単なことではありません。
それでもパリジェンヌが「自分がどうしたいのか」を優先させることができるのはズバリ、「どう思われてもよい!」と気持ちよく割り切っているからです。つまり、気持ちの持ちようなのです。