かつらを持つ女性写真はイメージです Photo:PIXTA

大学院教授で情報番組やバラエティでも活躍する岸博幸氏は、昨年、血液のがんである多発性骨髄腫と診断された。抗がん剤治療によって徐々に抜けていく髪の毛……スキンヘッドや帽子姿で仕事を続けるなか、周囲の反応から「あること」に気づいたと言います。本稿は、岸博幸『余命10年 多発性骨髄腫になってやめたこと・始めたこと。』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

「定年」は人生を見つめ直す
絶好の機会だと考える

 病気が判明した時、僕は60歳だった。会社勤めの身であれば、そろそろリタイアの年齢。法律的には、企業に65歳までの雇用確保が義務づけられ、70歳までの就業機会の確保も努力義務とされているから、実際の定年はまだ先かもしれない。とはいえ、多くの人が60歳前後で、定年後の人生に思いを馳せることだろう。

 その時に立ちはだかるのが、老後のお金の不安である。日本人の平均寿命は驚くほど延びていて、男性は81歳、女性は87歳(2022年厚労省調べ)。

 一般的には、定年後少なくとも20年、人によっては30年も生きることになる。となれば、定年後の生活はどうやって支えていけばいいのか、年金や貯蓄で足りるのかなど、将来が不安になるのは当然のことだろう。

 だけど、定年というのは人生のデザインを大きく変えるチャンスでもあるのだから、定年後の人生をいかにハッピーに過ごすかという観点を持つことも忘れないでほしい。これまでの人生でやりたかったけれどできなかったこと、挑戦したかったこと、興味があること、それを全部やるつもりになってもいいのではないだろうか。

 僕が経済的に恵まれているから、そんなことを言っているわけではない。病気になって以降、体調を考えて仕事の量は減らしているし、またお金よりもやり甲斐重視で仕事をしているので、収入は大きく減った。

 治療費は正直すごくかかるし、子供たちはまだ中学生と小学生だから、しばらくは教育費もかかる。でも僕は、家族のためには最低限必要なお金さえ稼げればOKだと考えているし、財産を残す必要もないと考えているので、自分のハッピーを優先するつもりだ。

 ご存じの通り、日本は人口減少と少子高齢化が急速に進んでいて、あらゆる産業、あらゆる地域で人手不足が深刻だ。2022年10月現在60歳の人口が151万人なのに対して22歳は126万人しかいないし(統計局人口推計)、15年後は、前者が199万人で後者が100万人になると予測されている。つまり、60歳どころか70歳を超えても、労働力として必要とされるのである。高齢者の力も借りなければ、日本経済が立ち行かなくなるからだ。

 だから、会社を定年退職した後も、仕事の選り好みさえしなければ、働き口に困ることはない。定年前のような収入は無理だとしても、自分自身の楽しみを優先しながら、生活を維持していくのは、不可能ではない。そこで必要なのは、常に新しい知識やスキルを学び続けて自分自身を進化させる姿勢と、長く働けるように体力と健康を維持することだ。