税金の取り方を正当化する根拠に
嫉妬感情が使われている

 さて、嫉妬心が最も露骨に現れるのは、お金が絡むときであることは間違いない。同期の給料が自分より多いのか少ないのか、それに一喜一憂するのが私たちの日常である。金銭の多寡は、比較を容易にすることから、嫉妬の温床になりやすい。

 ところで、嫉妬論の大家であるヘルムート・シェックによれば、嫉妬は制度と相性のよい感情であるという。実際、人間社会には、嫉妬から生まれたと考えられる様々な制度が存在している。

 その典型例としてよく挙げられるのが累進課税や相続税である。これらの制度は公正な負担という理念にもとづくものだが、同時に、人々の嫉妬心からその正当性を調達していることも否定できない。金持ちはたくさん払って当然だというわけであり、富者のほうもそれを大っぴらに拒むことができない。

 ちなみに、効率のよい徴税のために、人々の嫉妬心をうまく利用することを説いたのはジェレミー・ベンサムであったらしい。嫉妬感情は収税吏の役割を果たし、金のかからない番犬になって、隣人が収入を少なく申告している可能性をタレ込むのだ(Schoeck, Envy, p.385)。

 限られた財や資源をどのように配分するか。これは古くからある分配的正義の問題である。同様に、私たちのあいだで負担をどのように分担するかという問題、すなわち租税もまた、すぐれて正義にかかわる問題に違いない。

 税金と言えば私たちの感情とは無縁なもので、ドライで中立的に見えるかもしれない。だが、ここには「嫉妬の経済学」と呼ぶに相応しい問題が潜んでいる。つまり、税金の取り方に、嫉妬感情が深く絡みついている可能性があるわけだ。ここで少し税と嫉妬の関係について考えておきたい。

垂直的公平と水平的公平
税の取り方はどちらが妥当か

 まず、税について、どのような分担が公平なのだろう。じつは、これがなかなか難しい問題なのである。そもそも「公平さ」という概念について、税の分野では大きく二つの観念が存在しているようだ。それらは「垂直的公平」と「水平的公平」と呼ばれる考え方である。