まず「垂直的公平」は、「所得(あるいは消費その他の課税ベース)の異なったレヴェルに応じて人々を税制上、取り扱うことが公正さの要請だ」(L・マーフィー/T・ネーゲル『税と正義』伊藤恭彦訳、名古屋大学出版会、2006年、12-13頁)という考え方のことである。つまり、所得が多い人にはより多くの負担を、少ない人にはより少ない負担を求めるのが公正さにかなっているという発想である。

 他方で、「水平的公平」とは「同じレヴェルでは同じように人々を取り扱うことが公正さの要請だ」(13頁)という考え方である。こちらは所得が同じ人には同じ負担を求めるべきだという発想のことであり、垂直的公平よりも飲み込みやすい。

 所得が異なる人のあいだで、どのように負担を分配するのが正義にかなっているのか。

 確かに、最もシンプルなのは人頭税のような仕組みである。これは能力のある人にもない人にも、所得の多い人にも少ない人にも一律に同じ負担を課すものである。しかしその逆進性は明らかであるため、人頭税は「垂直的公平」とは相容れない税制であるとしてすこぶる評判が悪い。有名なところでは、かつてイギリスのサッチャーがこれを導入し、国民の大きな反発を招いたことで、辞任に追い込まれた。

貧しい人々が成功者の
足を引っ張る累進課税

 むしろ、より受け入れられやすいのは、所得が多い人は少ない人よりも多く税金を納めるべきであるといった累進課税のような考え方であろう。払える人が多くを払う、それが当然だろうと多くの社会で合意されている。

 嫉妬についての研究を進めていると、累進課税(あるいは相続税)による公平さの追求を、貧者の嫉妬心に関連づけて捉える見方にしばしば遭遇する。たとえばそれは、経済思想家のフリードリヒ・ハイエクのものである。ハイエクは、累進課税がじつのところ一般大衆に重い負担を強いる税制であり、さらにはそれが羨望(嫉妬)に突き動かされたものであるとして、次のように言っている。