累進課税の方法によって負担を実質的に富裕な人びとの肩に移すことができるという幻想が、これまでなされてきたように急速に課税を高めてきた主たる理由であって、この幻想の影響のもとで一般大衆はその影響のなかった場合よりも、はるかに重い負担を受けいれるようになったのである。この政策の唯一主要な結果は最大の成功者が稼ぎうるはずの所得にきびしい制限を加え、そして、それにより比較的に豊かでない人の羨望を満たすことであった。(フリードリヒ・A・ハイエク「課税と再分配」『ハイエク全集 I-7 自由の条件〔III〕』気賀健三・古賀勝次郎訳、春秋社、2007年、80頁)

 ハイエクは社会主義のような集産主義が自由への抑圧にほかならないとし、新自由主義イデオロギーが広く浸透するにあたり大きな影響力を持ったことで知られる。そんなハイエクからすると、累進課税とは貧しい人々が成功者の足を引っ張り、自らの嫉妬心を慰める、そうした卑しい税制なのである。しかも、累進においては、多数者は少数者に対し、限度のない負担を求めることが可能になると彼は言う。だがこれは、「民主主義の正当の根拠となる原則の侵害」(84頁)であり、多数者の専制になるとされる。

 ちなみに、累進税に代えて、ハイエクが擁護するのは比例税である。それによると、比例税は富める者にも貧しい者にも均一の税率を課す点で、累進よりはるかに理にかなっている。つまり、比例税においては「人びとが相異なる額を支払いながら、そのことに同意しやすい均一の原則を提供する」(86頁)のだ。こうした原則さえあれば、嫉妬に駆られた貧しい多数派が富める少数派の足を引っ張って無茶な税率を課したりはしなくなるだろう、ハイエクはそう考えているようだ。

 実際に累進課税が嫉妬の産物であるかどうかはさしあたり問わない。ただし、正義と公正さを批判するために大衆の嫉妬を持ち出すそのやり口は、保守的なイデオローグによく見られるレトリックであることは注意しておいてよいだろう。