水無月らくたびのスタッフも愛する地元人気店「仙太郎」(下京区)の水無月

無病息災「水無月」を食べ比べ

 第11回では「嘉祥の日」に合わせて、一年を通して味わえる「3大厄よけ菓子」をご紹介しました。今回は、夏越の祓にちなむその名も「水無月(みなづき)」です。関西圏、特に京都人にはなじみ深い伝統の和菓子です。

 そのルーツは旧暦6月(新暦7月上旬~8月初旬)の夏真っ盛りの平安時代。当時、冷凍庫や製氷機などはもちろんありません。それでも暑さをしのぐため、貴族は氷を口にしていました。気温の低い山間部の穴蔵のなかに茅や木の小枝を敷き、冬の間に池に張った氷をのせて草や土で覆い、夏まで貯蔵しておく氷室(ひむろ)があったからです。

 京都では、上賀茂神社の北西方面、鷹峯から峠を越えた山中の奥深く、宮中の氷を管理した清原氏勧請の氷室神社(北区)近くに氷室跡が残っています。旧暦6月1日(今年は新暦7月6日)の「氷の節供(節会)」に、この氷室で貯蔵していた氷が宮中に献上され、天皇や貴族たちは氷のかけらを口にし、暑気払いをしたと伝わります。

 夏の氷は、大変貴重なもの。手が届くはずもない庶民は、米粉を水で溶いて蒸し上げ、三角形にカットした菓子を氷のカケラに見立てて食したのだといいます。後に“魔を滅する”豆(=魔滅)の小豆が上に乗るようになり、現代に通じる「水無月」が形作られました。

 京都の和菓子店では、6月に入ると店頭に水無月を並べる店がちらほらと出始め、中旬から30日にかけて出そろいます。三角形と上に小豆をのせるのは各店共通の仕様ですが、見た目も味もだいぶ異なります。

 最も一般的なのは、米粉や小麦粉をベースにした、もちもち食感の外郎(ういろう)生地です。店によっては、生地の白色そのままのプレーンのほか、黒糖や抹茶で風味付けしたものもよく見られます。葛の根から採った葛粉の生地もあり、こちらはより氷に近づけた透明感で、クセがなくすっきりとした風味です。

 変わり種としては、祇園にある福栄堂(東山区)のパクッと食べられる「ひと口水無月」、お麸(ふ)専門店の半兵衛麸(東山区)の「生麩製水無月」、京都鶴屋鶴寿庵(中京区)の葛餅の中に小豆が透き通るもの、京懐石美濃吉 (下京区)のごま豆腐に小豆をあしらった一品料理的な水無月も登場します。

 生地自体の風味、もちもち感、小豆の粒の大きさ、炊き加減、艶やかさ、甘さなど店により異なるのが面白い水無月。上生菓子とは異なり、価格も1個100円台から300円台までと手ごろなので、いくつか購入して食べ比べ、自分好みの味を見つけてみるのも楽しいですよ。ちなみに、毎回マニアックな特集が好評の梅小路ポテル京都(下京区)発の観光案内「ポmagazine」に、京都で手に入る44種類の水無月を比較検討した記事がありますので、こちらからご覧ください。

 ところで、『源氏物語』第26帖「常夏」では、氷室にちなんだこんなシーンも。――35歳にして太政大臣に上り詰め、六条院という広大な邸宅の主となった光源氏の夏のある一日。池に面した釣殿という風の通る部屋で、息子の夕霧や親しい公卿たちを呼び寄せ、目の前で料理人に桂川の鮎(アユ)や賀茂川で採れた石伏(カジカ)などを調理させ、納涼の宴を催します。そこへ、ライバルであり親友の頭の中将もやって来て、氷室の氷で作った水飯(すいはん)を食べ、酒を飲みながら話に興じるのでした。

 現代なら、氷で作った水飯は冷やし茶漬け、目の前で魚を調理するのはハモの骨切りといったところでしょうか。1000年昔も今も、京の夏の宴の風情はどこか似ていますね。